朝日中高生新聞10月12日
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「進路は理系に!」母校もお祝いムード(第三種郵便物認可)22014年(平成26年)10月12日ニュース【訂正】朝日中学生ウイークリー9月21日号2面「難病のFOPと闘う」の記事で、進行性骨化性線維異形成症(FOP)の患者数は国内に「約70万人」ではなく「約70人」でした。訂正します。受賞する3人だけでなく、世界中の研究者が「青い光」の開発を目指しました。それは赤、緑と並ぶ「光の三原色」の一つだからです。各色が光る割合を変えれば、あらゆる色が表現できます。LEDでは1962年に赤色、続いて緑色が実用化されましたが、青色だけが世に出ず、「20世紀中は実現不可能」とさえ言われました。3人が着目したのは、LEDの材料として研究の主流でなかったちっか「窒化ガリウム」という物質です。名古屋大では赤崎さんが教授として、81年から良質な結晶づくりに取り組み始めました。天野さんも学生の立場で加わりました。課題の一つが、サファイアの基板の上にきれいな結晶を作ること。構造が大きく異なるため、難つしさは「木に竹を接ぐようなもの」と赤崎さんは言います。そこで赤崎さんは、間に座布団のような薄かんしょうい緩衝層(バッファー)を作ろうとひらめきます。実験が得意な天野さんが作業にあたり、85年に作製に成功。89年、ついに青く光るLEDを生み出しました。赤崎さんは「結晶をとことんよくするということで、一生懸命やってきた」と振り返ります。にちあ中村さんは徳島にある日亜化学工業の研究員でした。開発部門に10年ほど所属した末、「難しくて、人が手を出さないことをやろう」と89年、青色LEDの開発を本格化。米フロリダ州立大に1年間留学し、最先端の研究を学びました。大学時代に指導教官から「難しい本を読む時間があったら手を使って物を作れ」と言われて始めた実験装置の自作にもこだわっていました。500回以上失敗を重ねた末、性質の異なる結晶の薄い膜を層状に積み上げ、効率よく光らせる仕組みを開発。青色LEDが製品として世に出るのに貢献しました。99年に退社し、米国に拠点を移しました。学生を育てながら、LED照明のベンチャー企業にも関わっています。中村さんは「物理は基礎理論で受賞する人が多く、実用化でもらっている人は少ない。半信半疑だったがうれしかった」。(松村大行)【LED】英語でLight(光)Emitting(放射する)Diode(ダイオード)の略で、電圧をかけると光を出す半導体素子。つくるにはプラスの電気を帯びたものとマイナスの2種類の半導体が必要で、材料の種類で光る色が決まる。名古屋大の天野浩教授は研究室を率い、男女30人の学生を指導しています。研究室の隣にある教授室から、天野先生の大きな笑い声がよく聞こえてくるといいます。「近寄りがたい、という一般的な教授のイメージをさくつがえされました」と佐とうだいきはかま藤大樹さん(修士2年)。袴たりょうま田涼馬さん(修士2年)は「教授室に入りやすいし、相談もしやすい。研究で困っていると、次から次へとアイデアをくれます」。「研究熱心で気さくで……。天野先生は研究者としてぼくいしいらの『お手本』です」(石井たかひろ貴大さん・修士2年)ほんだよしお本田善央准教授(38)は「自分で考えて、実行しなさい。口に出してそう言うわけではありませんが、天野先生のそんな雰囲気が脈々と研究室に伝わっていると思います」。(富貴大輔)天野先輩おめでとう――。天野さんの母校の静岡はままつにし県立浜松西高校(浜松市)では8日、特別に全校集会が開かれ、併設する中等部も含む約1200人の中高生が大先輩の偉業を祝いました。いぐちめいな井口萌那さん(高1)は「まさか自分の高校の先輩がノーベル賞を受賞するとは」と驚きました。「進路を迷っていましたが、理系に進むと決めました。研究者にも興味を持ちました」50人以上いる科学部の中学生たちも刺激を受けましまきのうきょうた。牧野右京さん(中3)は、青色LEDがより安全で便利な生活に貢献していることや、ねばり強く研究を続けたことを知りました。「自分も天野さんのように困難な壁にぶつかっても乗り越えていく強い人間になりたい」(猪野元健)中村修二さんの母校、愛おおず媛県立大洲高校(大洲市)きくちたかひろに通う菊地隆浩さん(高2)は「長い間の努力が実って贈られた賞だと思います。あきらめずに続けることの大切さを教わりました」。こうちひでこ高校の同級生、河内秀子さん(59)は「同級生として、誇りに思います。中村さんはバレー部でがんばっていて、かつ勉強もできる文武両道の方でした」と振り返ります。中村さんは高3の時、生徒会誌に「何年生きるかよりも、いかに生きるかが大切である」とコメントを寄せています。「研究に尽力し、成果を残した今の先生の生き方に通じるように思います。生徒たちにその姿勢を伝えらなかむらゆうじれたら」と中村雄二教頭先生は話しています。(中塚慧)イラスト・ふじわらのりこ光の三原色「気さく」「研究者の『お手本』」受賞を喜ぶ天野研究室の学生ら=8日、名古屋大学母校の浜松西高校の中等部科学部の3年生が、手巻き発電機で青色LEDを光らせました=8日、静岡県浜松市文武両道で生き方が確立大洲高校の生徒会誌『藤棚』(1972年度)からイラスト・大塚洋一郎こだわり続け、青色に到達天野さんってどんな人?天野さんってどんな人?中村さんの高校時代は?中村さんの高校時代は?赤崎勇さん鹿児島県生まれ。1952年、京都大学理学部卒業。松下電器産業(現在のパナソニック)などを経て、92年、名城大学教授。天野浩さん静岡県生まれ。1983年、名古屋大学工学部卒業。89年、同大博士号を取得。2010年から名古屋大学大学院工学研究科教授。中村修二さん愛媛県生まれ。1977年、徳島大学工学部卒業、79年、修士課程修了。2000年から米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授。赤崎勇さんは旧制の鹿児こうなん島二中(いまの県立甲南高校・鹿児島市)出身。同級生らは朝日新聞の取材に対し、「成績は学年1番で級長(学級委員)も務めていた。学究肌で温厚な性格。友人も多かった」「親しみやすい人だった」と振り返ります。郷土の偉人・西郷隆盛を尊敬し、西郷をまつる神社の清掃をしたり、寒中水泳に熱心に取り組んだりしていたそうです。友人多く、西郷さんを尊敬赤崎さんの高校時代は?赤崎さんの高校時代は?(1面から続く)

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