朝日中高生新聞
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戦後72年でも癒えない沖縄県民の心の痛み

2017年6月25日付

 太平洋戦争で、国内最大の地上戦があった沖縄はいま、慰霊の季節を迎えている。23日は、20万人余りの沖縄戦の犠牲者をいたむ「慰霊の日」だった。しかし、県民が望まない米軍基地建設が今春、の海を埋め立てて始まり、心を痛める人が少なくない。

住民巻き込んだ地上戦、地中から遺骨や不発弾

「戦争はまだ終わっていない」

 1945年3月末から約3カ月、沖縄に上陸した米軍と日本軍が、多くの住民を巻き込みながら激しい戦闘を繰り広げたのが、沖縄戦だ。県民だけで約12万人、4人に1人が亡くなったとみられているが、戸籍も焼けてしまい、詳しい数字はわかっていない。
 「慰霊の日」の6月23日は県の休日にもなっている。特に多くの人が亡くなった沖縄本島南部にある平和祈念公園(いとまん)では毎年、「沖縄全戦没者追悼式」が開かれて、たくさんの人が亡くなった人たちに思いをはせている。
 「戦争はまだ終わっていない」。沖縄戦を生き延びたお年寄りは、よくそんな話をする。理由は地中からはいまも、年間百や二百の遺骨や、戦争で使われた不発弾が次々と見つかっているからだ。
 また、70年以上前の戦争は、いまの米軍基地問題ともつながっている。沖縄に上陸した米軍は、日本軍と戦っている最中から、基地の建設をスタートさせていた。てん飛行場(わん市)も、その一つだ。

在日米軍基地の7割が集中、普天間飛行場の返還は県内移設が条件

辺野古埋め立て巡り日本政府と県に溝

 普天間飛行場は市街地の真ん中にあり、在日米軍基地(専用施設)の7割が集中する沖縄の重い負担の象徴だ。95年、小学生の女の子が3人の米兵に暴行される事件が起こると、日米両政府は翌年、沖縄の負担を減らそうと、普天間を返還することで合意した。
 ただ、返還は県内移設の条件つき。負担を減らすことにならない、という受け止めが地元に強く、計画は様々な課題に直面した。
 複雑な経緯をたどった結果、日米は、キャンプ・シュワブという米軍基地がある市辺野古の沿岸部に移設することを決定。今年4月25日、その波打ち際に砕いた大きな石を置き、海を埋め立てる護岸工事を始めた。
 日本政府は「普天間の全面返還を実現する確かな一歩」(すがよしひで官房長官)と説明した。しかし、「辺野古に新たな基地は造らせない」と訴えて県知事になったながたけ氏は「県民との約束を実現する」と主張。国の工事は県の規則違反として、差し止めを求める裁判を起こす考えも明らかにした。普天間返還も、辺野古の工事も予断を許さないままだ。
 戦後72年。戦争で深く傷ついた島に、多くの米軍基地が残っている。最近の研究では、沖縄戦で地獄のような光景を目にしたり、家族を亡くしたりして生き残った人たちが「心の傷」を抱えていることが明らかになってきた。基地の存在が、かさぶたをはがすようにしてその傷をさらに痛めている、と指摘する専門家もいる。


追悼式で、戦没者に祈りをささげる参列者たち=2016年6月23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園


どちらも(C)朝日新聞社


解説者
むらつかさ
朝日新聞東京本社
社会部記者

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