朝日中高生新聞
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真相 語ってほしかった

2018年8月19日付

オウム真理教の事件松本死刑囚ら刑執行

30年取材続けるジャーナリスト 江川紹子さんに話を聞く

 1995年の地下鉄サリン事件などを引き起こしたオウム真理教のまつもとあさはらしょうこう)元代表と元幹部ら13人の死刑が7月、執行されました。多数の死傷者を出し、社会を大きくゆるがした一連の事件は、どのようなものだったのでしょうか。オウム真理教を30年近く取材してきたジャーナリストのがわしょうさん(60)に、朝中高特派員が聞きました。(近藤理恵、松村大行)

なぜ、超能力のようなものに

 江川さんは1989年、オウム真理教に出家した息子のお母さんから脱会の相談を受けて、弁護士のさかもとつつみさんを紹介しました。その後、坂本さんが妻と1歳の息子とともに行方不明になって以来、オウム真理教を取材するようになりました(坂本さん一家は95年に遺体で発見され、殺害に関わった教団幹部が逮捕されました)。
 また、環境問題を熱心に学んでいた人が「問題を解決するには超能力しかないのでは」と考え、信者になっていたことに対して、「なぜ超能力のようなものにひかれたのか知りたい」と思ったことも理由の一つとしてあげます。
 オウム真理教の取材を重ねるうちに、江川さんも教団の標的となり、94年に自宅に毒ガスをまかれる被害にあいました。江川さんは「当時は本当に殺意があったとは思わず、嫌がらせ程度だと思っていました。後で、まかれたものが毒ガスであることを知り、ぞっとした」と振り返ります。

選挙に落選、日本社会うらむ

 今でこそ、オウム真理教が過激な組織だったことは明らかですが、当時は実態がよくわかっていませんでした。ヨガのサークルを装ったり、大学の学園祭にもぐりこんだりして近づき、若者を中心に信者を集めました。
 「当時、1999年に世界が終わると主張する『ノストラダムスの大予言』がはやっていたことも影響しました。それに不安を感じたり、人間関係や進路に悩んだりして麻原の本を読み、教団には『何か救いがあるのではないか』と考え、信者となった人もいたのです」
 朝中高特派員が「友人や大切な人がオウム真理教のような団体に洗脳されてしまった場合、どうすればいいか」と質問しました。江川さんは「親や先生に相談してほしい」と答えます。
 「オウム真理教の死刑囚の中にも、友だちがオウム真理教に入り、それをなんとかやめさせようと、教団に入った人がいました。しかし、次第に麻原を信じるようになり、殺人を犯してしまいました。もし同じ状況になったら、自分たちだけで抱えこまず、誰かに相談してください」
 90年、松本元死刑囚や信者が多数、衆議院議員選挙に立候補しました。松本元死刑囚は「当選するのは当然」と考えていましたが、結果は全員落選でした。
 「選挙に『不正があったに違いない』と思い込んだ麻原は、日本社会をうらむようになり、教団は兵器を持ったり、開発したりするようになりました」

 【オウム真理教】

松本元死刑囚=写真、1990年撮影=が「麻原彰晃」と名乗り、1980年代に始めた宗教。松本元死刑囚は、空中を浮かぶ「超能力」があるなどとアピールし、若者を中心に信者を集めた。
 89年に東京都から宗教法人と認められた一方で、同年には、オウム真理教の被害対策に関わっていた坂本弁護士の一家を殺害した。95年3月に東京都内の地下鉄に毒ガスの「サリン」をまき、13人が亡くなった。負傷者も5800人以上にのぼった。
 事件後、松本元死刑囚を始め、多数の幹部が逮捕された。一連の裁判では、死刑となった13人を含め、190人が有罪判決を受けた。17年間逃亡を続けた元信者の判決が今年1月に確定し、すべての裁判が終了した。教団は「アレフ」や「ひかりの輪」などに分裂している。

松本元死刑囚の写真
(C)朝日新聞社

地下鉄サリン事件発生直後の日比谷線・築地駅付近の写真
地下鉄サリン事件発生直後の日比谷線・築地駅付近。地上に運び出された乗客は、救急車などに収容されました=1995年3月20日、東京都中央区
(C)朝日新聞社

若い人が知る手立てを

本当は何をしたかったのか

 オウム真理教は猛毒ガス「サリン」の製造も始め、94年には、犠牲者8人を出した長野・松本サリン事件を起こします。
 その後も数々の殺人事件を起こし、95年に東京都目黒区で男性が路上で連れ去られた事件で、ついに教団に捜査の目が向けられます。地下鉄サリン事件は、捜査をかくらんしようと起こしたものでした。
 多くの信者の証言によって、事件の真相はおおむね明らかになりました。しかし、松本元死刑囚は裁判でも事件の真相を話しませんでした。江川さんは「彼は、自分の支配を日本全体にまで広げたいと考えていたようですが、本当は何をしたかったのかはわかりません。自分の言葉で語ってほしかった」と話します。
 一連の事件の裁判で、なぜ事件を起こすほど麻原を信じてしまったのかを語った信者もいたといいます。「若い世代が同じようなことに巻き込まれないように、幹部には自分たちの経験を話すなどの協力をしてもらいたかった」と江川さん。

教祖と信者、責任の重さ違う

 7月、松本元死刑囚と元幹部6人の死刑が同じ日に執行されたことについて、朝中高特派員から質問が出ると、「残念なこと」と話します。
 「麻原と、その弟子である信者の責任の重さは全く違うので、同日の執行はショックでした。そして、幹部たちは、麻原という『教祖』と一番近い立場にいた信者でした。同日の刑の執行で、教祖と近い立場にいた人は一緒に旅立つことができるという、一種の物語がつくられるのではないかと危機感を覚えています」
 事件の当事者から話が聞けなくなった今、若い世代にオウム真理教や一連の事件をどう伝えるかが、課題の一つとなっています。
 「例えば、裁判記録もこの問題を伝える材料の一つです。通常、裁判記録は保存期限が切れたら捨てられてしまいますが、オウム関連の裁判記録に関しては、永久に保存することが決まりました。ほかにも、若い人たちが事件のことを知る手立てがないか、考えていきたいと思います」

特派員 インタビューを終えて
当時を見つめ考える経験に

 私が生まれていなかった頃に起きた事件の背景を伺うことができて、その当時を見つめ、考えるいい経験になりました。(東京都かつしか区立あや中1年)

弟子の死刑は意味が異なる

 私も江川さんの意見と同じで、麻原の死刑は分かるけど、利用された弟子の死刑は意味が違うと思いました。(神奈川県市立ひさ中2年)

おかしいこと疑うのは大切

 大人に相談したり、おかしいと思ったことを注意深く疑ったりすることはとても大切だと改めて思いました。(東京・けいせん女学園中2年)

現状をより良く考えていきたい

 日本のように死刑制度があるならある、欧州の国々のように無いなら無いで、この現状をより良くするためにどうすればいいか、考えていきたいと思います。(東京都八王子市立第一中3年)

被害者の心に思いをはせた

 今回の取材はたくさんのことを知るいい機会になりました。事件について考え、被害者の方の気持ちに思いをはせることができました。(神奈川・よこはまきょうりつ学園中3年)

裁判の内容の保存と公開を

 私は永久に裁判内容を残し、公開することを望みます。それが、二度とこのような事件が起きないようにする方法だと思います。(東京・こう学園中3年)

正しい情報を伝える大切さ

 ジャーナリストとして最も必要なことを質問したところ、「正しい情報を伝えること」という答えだったのが印象深かったです。(埼玉県立こしがやきた高1年)

真実を求めて危険も顧みず

 真実を追い求めるために身の危険もかえりみず尽力される江川さんの姿に、とても感動しました。(東京・たまがわせいがくいん高3年)

 

【オウム真理教をめぐる出来事】

1984年 オウム神仙の会が発足
 87年 オウム真理教に改称
 89年 東京都が宗教法人として認証(8月)、坂本堤弁護士一家殺害事件(11月)
 90年 「真理党」を結成し、信徒ら25人が総選挙に立候補(写真①)

「真理党」を結成した松本元死刑囚と信徒の写真
①~③はどれも(C)朝日新聞社

 93年 サリンを製造するプラントを建設
 94年 松本サリン事件
 95年 仮谷清志さん逮捕監禁致死事件(2月)、地下鉄サリン事件(3月)、山梨県の教団施設に隠れていた松本元死刑囚が逮捕される(写真②は毒ガス対策のカナリアが入ったかごを手に施設の捜索に向かう捜査員)

毒ガス対策のカナリアが入ったかごを手に施設の捜索に向かう捜査員の写真

 96年 松本元死刑囚の初公判(写真③は裁判の傍聴券を求めてつめかけた人々)

裁判の傍聴券を求めてつめかけた人々の写真

2000年 教団名を「アレフ」に改称
 04年 東京地裁が松本元死刑囚に死刑判決
 06年 死刑が確定
 07年 「ひかりの輪」が設立される
 18年 教団をめぐる公判が、すべて終了(1月)、13人の死刑が執行される(7月)

 

オウム真理教について語る江川紹子さんの写真
オウム真理教について語る江川紹子さん=7日、東京都中央区

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