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2019年3月17日付
スポーツで海外に挑戦、会社を起業、大学で個性を磨く――。高校3年生の中には卒業後、新たなスタートラインに立つ人がいます。これまでの経験を生かし、それぞれの道に進む3人の思いを伝えます。(寺村貴彰)
高校のバスケットボールで最も注目される大会「ウインターカップ」で昨年12月、全国3位の成績を収めた愛知・桜丘高校。チームを牽引したのが富永啓生選手です。3位決定戦までの6試合の平均スコアは約40点。総得点、スリーポイントシュートとフリースロー成功数の3部門で1位を獲得した「点取り屋」。この春、バスケの本場・米国に渡り、プロリーグNBAのプレーヤーを目指します。
男子U16(16歳以下)、U18それぞれの世代で日本代表に名を連ねてきました。男子U22日本代表を選ぶため、2月下旬から始まったスプリングキャンプの参加メンバーにも選ばれています
富永選手の武器は、外からのスリーポイントシュートとドライブ(ゴールに向かうドリブル)です。シュートできる範囲が広く、相手が少しでも隙を見せれば、スリーポイントラインの遠くからでもねらっていきます。相手はシュートを警戒するため、富永選手が内側にドリブルすると対応が遅れてしまうのです。
なぜそんなにシュートが入るのでしょうか。富永選手は「毎日シュート練習はしていますが、シュートがただ楽しいだけで、ノルマを課したことはありません」と振り返ります。
スリーポイントラインの上からディフェンスなしで1回100本のシュートを打つ練習では、成功した最高記録は91本。調子が悪くても80本は決めます。手を見せてもらうと、指の付け根や第一関節の下に「シュートだこ」ができていました。日々の練習量も正確さを支えています。
両親ともにバスケ選手で、幼い頃から大人が使う7号ボールで遊んできました。家にあった小さいゴールに向かって、シュート練習を続けました。いまは身長が185センチありますが、中学までは169センチと伸びず、シュートだけでは得点できなくなりました。「もう一つ新しい力をつけなければ」と思い立ったのがドライブでした。
目下の課題は、外国人選手にも負けない体の強さ。米国挑戦に向けて鍛えています。「課題をクリアし、NBAに挑戦したい」と意気込みます。
卒業後、起業家としての道を選んだ人もいます。望月まいさん(新潟・新潟清心女子高校)は、高2でオリジナルバッグを作る会社「Recno」を立ち上げました。同級生はほとんどが大学に進学しますが、「周りに合わせることは、自分の性格に合っていない」と決断しました。
Recnoの売りは、ファスナー付きのパーツを付け替えてオリジナルのバッグができること。3種類のパーツを3色から選び、計9種類にカスタマイズ(好みに応じて変えること)ができます。ネットや期間限定のお店で販売しています。
アイデアが浮かんだのは中学2年のとき。自分で生地を縫って形をつくり、できるだけむだがなく、シャープに見えるデザインを温めてきました。1年ほど試行錯誤して、高1の春から本格的に動き出しました。
週末に埼玉県の実家に戻り、起業の相談ができる機関を利用して、マーケティングや会計の基礎知識を学びました。
高2のとき埼玉県が主催するコンテストで審査員賞を受賞。日本政策金融公庫による「高校生ビジネスプラン・グランプリ」にも挑戦し、ファイナリスト10組の1人に選ばれました。
その後すぐに会社を設立。東京都内の三つの工場に連絡し、製作費がどれくらいかかるか見積書を出してもらいました。人件費の安い海外で作ることも考えましたが、製作する数が少なく、送料を含めると大差ないと判断。品質を優先させて国内の工場に決めました。
譲れなかったのはカスタマイズできることと、どんな人にも使いやすいデザイン性。最初にできあがったサンプルは想像とは違い、「いかにもここが取れます、みたいなデザインでした」と望月さん。サンプルを作り直し、修正を重ねました。
起業の道を選んだのは「自営業の父の背中を見て育ち、自由に仕事ができるっていいなと感じていたから」。これまでに貯めたお年玉100万円を使った挑戦です。「会社を持っているというのは、特別なことではありません。次は在庫管理が難しい服にチャレンジしたい。自分のやりたいように突き進むのみです」
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思い出の校舎、白熱した体育祭――。卒業制作として、高校時代の思い出を詰め込んだ映像「春忘れ」を作った板谷勇飛さん(岡山県立岡山操山高校)。動画制作やコンピューターグラフィックスの技術を見込まれ、企業などの依頼を受ける映像クリエーターです。
「春忘れ」は同級生が作った楽曲に映像をつけ、2分13秒の物語に。旅立ちを表現するため「どこか寂しさを演出しながらも、青春の舞台を改めて見て美しさが感じられる絵を目指しました」。4月、慶応義塾大学環境情報学部(神奈川県藤沢市)に進学します。
映像制作を始めたきっかけは、中学の授業で取り組んだプレゼンテーションです。高性能のパソコンや動画専用のソフトがない中、「どうにかして個性を出さなきゃ」と、プレゼン用のソフト「パワーポイント」で何百枚ものスライドを作り、1枚ずつ再生して動画のように見せることに。数十時間かけて完成させました。クラスメートから上がった歓声が、映像への興味をかき立てました。
その後、カメラや映像ソフト、自作のパソコンをそろえ、文化祭のプロモーションビデオなどをネット上で発表。作品が企業やイベント主催者の目にとまりました。
制作は、すべての工程をほぼ一人で行います。クライアント(依頼主)にイメージを聞いてプランを立て、考えを絵にして整理。構成要素を固めて絵コンテ(台本)を作り、クライアントに確認します。さらに、ビデオコンテを作り、OKが出たら撮影に入ります。
短い作品でも制作に1カ月はかかります。一流のクリエーターの表現に近付けるよう、海外のサイトなどで撮影方法に関する情報を探します。高価な機材はありませんが「がんばれば撮れるんです」と板谷さん。分業が多い映像制作で、すべての工程を経験できたことが強みになっています。
自分の作ったもので泣いてくれる人がいる、役立っている、という実感がやりがいだという板谷さん。「1人では体力がいるので、いずれは会社を起こし、監督の側に回りたい」と話します。
卒業制作「春忘れ」の映像
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記事の一部は朝日新聞社の提供です。