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2019年5月26日付
1989年6月4日に中国で起きた「天安門事件」から30年を迎えようとしています。民主化を求める学生デモ隊を、軍が武力で制圧した事件です。政府の統制は、今もSNSなどの情報面で中国に色濃く残っています。(近藤理恵、中田美和子)
中国・北京の中心地にある天安門広場は、大勢の観光客でにぎわいます。門には、中国共産党を創設した毛沢東の肖像画が飾られ、中国を象徴する建造物の一つです。
一方で、中国の歴史に暗い影を落とした天安門事件の場所という面もあわせ持ちます。事件の発端は、胡耀邦という人物の死でした。
中国では、1986年の終わりから学生を中心に、中国共産党による独裁体制を批判し、民主化を求める運動が全国に広がっていました。当時、党の総書記だった胡耀邦氏は民主化運動に理解を示しましたが、反対勢力の批判を受けて失脚しました。
89年4月15日に胡耀邦氏が亡くなると、学生らは死を悼むため天安門広場に集まりました。初めは追悼集会でしたが、次第に政治体制に反対する集会へと変化。第1次世界大戦後の1919年、学生らが帝国主義による侵略戦争などに抗議した「五四運動」の70周年の記念日も重なり、大規模なデモが起こります。
危機感を抱いた中国共産党は5月20日、北京に、統治権を軍に委ねる「戒厳令」を敷きました。6月3日の夜から4日の未明にかけて、天安門広場に集まったデモ隊を排除するため、軍の装甲車などが市民に対して無差別に発砲。武力で鎮圧しました。
中国当局は死者を319人と発表しましたが、詳細はわかっておらず、1万人が亡くなったとも言われます。
「数万人のデモと天安門広場での座り込みなど、当初は学生や市民も強気でした」。88年から90年まで朝日新聞北京支局に勤務し、天安門事件を取材した田村宏嗣さん(63)は、こう振り返ります。
しかし、5月20日に戒厳令が出されてからは、政府と軍の締めつけがきつくなってきました。衝突の気配が強まる中、6月3日の深夜に事態は動きました。日付が変わった4日未明には戦車や装甲車が天安門広場に突入しました。
「軍は実弾を撃ってきました。学生や市民も火炎びんなどで抵抗しましたが、力の差は圧倒的でした」
それから3日後の7日、田村さんの自宅のあるアパートが、兵士の銃撃を受けました。「部隊に向けて建物から射撃されたため応戦した、という話でしたが、数分間にわたって乱射が続きました」
混乱した状態と中国共産党の権力闘争の動きから、田村さんは「内戦になるかもしれない」と思ったそうです。その後、混乱は収まりました。
「天安門事件の後、中国は急速な経済成長を実現しましたが、共産党や政府への批判は厳しく監視され、自由な発言を許さない、いびつな国になりました。当時は、10年か20年後には事件の全容が明らかになると思いましたが、いまだに死者の数にも疑問があるままです」
胡耀邦元総書記の死去を受けて集まった人々の追悼行動で騒然とする天安門広場=1989年4月、どちらも中国・北京市
(C)朝日新聞社
武力鎮圧で煙にかすむ天安門広場西側にある人民大会堂=1989年6月4日
(C)朝日新聞社
中国は1990年代から驚異的な経済発展をとげ、米国と貿易摩擦を生むまでになりました。一方、国内では今もSNSなどが厳しくコントロールされています。京都大学人文科学研究所で中国近現代史を専門とする石川禎浩教授(56)に、30年の変化を聞きました。
――最も大きな変化は経済の発展でしょうか。
確かに経済成長のスピードと持続ぶりは驚くほどのものです。この30年で、経済の規模を示すGDP(国内総生産)は約30倍になりました。同じ期間、日本の成長は約1.5倍です。
中国の人々に以前からあった「豊かになりたい」という意欲が、中国政府が進めた対外開放の経済政策と、世界的に広まった自由貿易の波にうまく乗って、高い経済成長につながったと言えます。
――天安門事件の記憶はすでに過去のものに?
中国人にとっては「知ってはいるけれど口には出せない事件」です。中国は今も共産党の一党支配。その支配を揺るがすような動きに対し、ここ2、3年は特に敏感です。少しでも学生が自主的に社会に向き合う活動をしようとすると、圧力をかけます。人が集まるような運動を恐れています。
――どのようなコントロールがありますか。
ツイッター、フェイスブック、LINEなど、海外にベースのあるSNSは基本的に利用できません。YouTubeやGoogleも使えません。表向きには社会に有害な情報や無責任なデマを防ぐとしていますが、実際には海外との自由な情報のやり取りを許さないためです。中国にマイナスな情報が入ってこないよう、国家レベルでネットを守る壁を築いています。
――SNSは使えないのですか。
ツイッターやフェイスブックなどとほぼ同様のサービスを国内で独自に提供しています。海外からも参加できます。中国の基準に合わせればアクセスできるのです。
中国のネット社会は匿名性がなくなっています。本名や住所、口座情報などを登録しないとアカウントが機能しませんが、スマホをかざせばどこでも買い物できます。一方、管理する側には市民の統制がしやすい便利なシステムです。
――統制はどのような形で表れていますか。
街の再開発で住み家を追われ、反対の声を上げる。学校給食に粗悪な食材が使われているのをネットで告発する――。こうした政府の批判につながる動きはすぐに封殺されます。誰かが自分の言動を見ているかもしれない、という強い圧力はみんなわかっています。
――不満はないのでしょうか。
社会に不満を持つ人は一定数います。ただ、政治の話さえしなければ、仕事で活躍し、いい暮らしができるようになっています。よっぽどの不正や強硬な振る舞いがなければ、政治は党に任せておいて、自分に不都合はない。自由が少しぐらいなくても豊かな暮らしが送れるなら、わざわざ文句を言う必要はない。こんなふうに考える人が多数を占めていると言えます。
――体制はこのまま変わらないのでしょうか。
共産党が主導する政治体制が2、3年で変わるとは常識的に言って考えにくい。ただ、5年、10年先にどうなるかは不透明です。変わるとすれば、外からの圧力によってではなく、内部の変化からでしょう。外の世界からの情報や価値観の流入が一つのきっかけになって、中国の人々あるいは共産党の考え方が変わっていく、ということは考えられます。
1997年 香港返還。アヘン戦争(1840~42年)で英国の植民地になった香港が約150年ぶりに中国に返される
99年 NATO(北大西洋条約機構)軍がユーゴスラビアの中国大使館を誤爆。中国政府は国連に強く抗議し、国内では米国大使館などへの抗議デモが起きる
2001年 WTO(世界貿易機関)に加盟。貿易や海外企業の進出などで、国内の利益を保護する規制を取り払い、自由貿易の体制へ
08年 中国で初めての五輪、北京五輪が開かれる
10年 GDP(国内総生産)が日本を超えて米国に次ぐ世界2位に
13年 習近平氏が中国のトップ国家主席に就任する
15年 訪日中国人観光客が前年の約2.5倍に増加。「爆買い」が流行語大賞に
演説する習近平・国家主席=2018年3月、中国・北京
返還を喜ぶ香港の人たち
五輪開幕を告げる会場の花火
中国人観光客でにぎわう福岡・博多の商業施設
どれも(C)朝日新聞社
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