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2019年6月30日付
大阪府堺市、羽曳野市、藤井寺市の「百舌鳥・古市古墳群」が、世界文化遺産になる見込みです。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が登録を勧告し、30日からアゼルバイジャンで開かれる世界遺産委員会で決まるとみられます。(中塚慧、中田美和子)
古墳は土を高く盛った古代のお墓です。百舌鳥・古市古墳群のうち世界遺産に登録される見込みなのは、堺市にある国内最大の「大山古墳(大仙古墳、仁徳天皇陵)」を含む49基。4世紀後半から5世紀後半に造られました。過半数は、宮内庁が管理する天皇家のお墓「陵墓」などのため立ち入りが禁じられています。
大山古墳は鍵穴のような形の「前方後円墳」。長さ486メートル、濠を含めると甲子園球場12個分の広さです。
誰のお墓なのでしょう。5世紀に造られ、当時の日本(倭)を治めた大王が葬られているのは確かですが、誰のものなのか実はわかっていません。「仁徳天皇の墓」というのは、8世紀に成立した「日本書紀」などによります。「大山古墳が造られてから3世紀ほど経っていて、本当のことはよくわからないのです」と堺市博物館の学芸員、肥田翔子さん(25)は言います。
でも、想像することはできます。博物館には、大山古墳から見つかった銅製で金メッキを施したよろいかぶとや、ガラス製のおわん、皿の復元品が展示されています。豪華なよろいかぶとは、戦いのためなら不自然です。おわんや皿は大陸から伝来したものと見られ、強い権力を持った人だとわかります。
百舌鳥・古市古墳群には、大きさで国内第2位の誉田御廟山古墳(応神天皇陵、長さ425メートル)、第3位の百舌鳥陵山古墳(履中天皇陵、長さ365メートル)もあります。「この辺は港で、海外から船で来た人に巨大な古墳を見せ、日本の大王にはこれだけの権力があるのだと誇示したのでしょう」。古墳のまわりに濠があるのは、その内側は神聖な場所だと区別する意味もあったと考えられます。
世界遺産になると、海外からの注目も高まります。古墳の魅力は、どのように伝えられるでしょうか。大阪府立大学大学院に留学し、古墳について研究するフランス人のヴァレンタン・ダビッドさん(27)は、こう話します。
「フランスでは古墳は全然知られていない。驚いたのは、市民が巨大古墳のすぐ近くに住んでいること。ボランティアがまわりを掃除していることに、日本の心を感じます」。海外では古墳を知らなくても、古墳に立て並べる埴輪を知る人はいるそうです。「埴輪をきっかけに、古墳の魅力を知ってほしい」と期待します。
・大山古墳(大仙古墳、仁徳天皇陵)
・百舌鳥陵山古墳(履中天皇陵)
・田出井山古墳(反正天皇陵)
・ニサンザイ古墳
(以上、どれも堺市)…など
・誉田御廟山古墳
(応神天皇陵、羽曳野市)
・仲津山古墳(仲姫命陵、藤井寺市)
・岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵、藤井寺市)
・市野山古墳(允恭天皇陵、藤井寺市)
・軽里大塚古墳(白鳥陵、羽曳野市)…など
上が大山古墳(大仙古墳、仁徳天皇陵)、下は百舌鳥陵山古墳(履中天皇陵)。
まわりは住宅が密集しています=4月28日(C)朝日新聞社
百舌鳥陵山古墳について説明する肥田翔子さん=8日、堺市
百舌鳥・古市古墳群の特徴は、都会の住宅密集地の中にあることです。多くの古墳が1500年以上も残され、近隣住民に見守られてきた姿は、ユネスコの諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)にも評価されました。
5世紀に造られた「いたすけ古墳」(堺市)。1955年に、住宅開発のため取り壊されそうになりましたが、市民運動の結果、保存が決まり、翌年には国の史跡となりました。全国で起きた遺跡保存運動の先がけになったといわれます。出土したかぶと形の埴輪は、堺市の文化財保護のシンボルになっています。
「世界遺産になれば、人類共通の財産といえます。それは守られないといけないもの。古墳の価値が世界に認めてもらえてうれしい」と肥田さんは話します。
いたすけ古墳から出土した、かぶと形の埴輪
=8日、堺市博物館
市民の力で守ってきた古墳群。首から上は埴輪、その下はスーツ姿の堺市の公式キャラクター「ハニワ課長」(約1600歳)も力を尽くしてきました。2014年に市が製作。ホームページに登場しただけで、かぶりものは「廃棄寸前」でした。15年のテレビ出演を機にシュールな姿が話題になり、人気者に。イベントなどで古墳の魅力を伝えてきました。
世界遺産になるのを「土器だけにドキドキしながら、今か今かと待っている」と言います。「地域の人にとって、古墳は子どもの時から身近にあって、生活に溶け込んでいる。それが古代から受け継がれてきた世界的にも貴重な遺跡であるのは、誇りです」
大山古墳の周辺では古墳をかたどったグッズも盛り上がっています。
食事処「花茶碗」の「古墳カレー」は、手作りの皿に盛った前方後円墳形のライスをカレーの「濠」が囲みます。8年前に売り出しました。店主の中屋麗子さんは、地域の人たちと古墳のまわりを掃除したり、古墳について学ぶ会を開いたりしてきました。「登録を心待ちにしながら亡くなったお年寄りの方も、きっと喜んでくれることでしょう」
手作りパン工房「ロアール」は、古墳にちなんだ総菜パンや菓子パンを置いています。前方後円墳の形の焼き型は特注で作りました。型の数が限られているため、パンの数も限られます。店頭には「1家族3個まで」の表示があります。
おみやげ屋の「もず庵」は、古墳をデザインした文房具をいろいろ取りそろえています。中でも百舌鳥、古市それぞれの古墳を載せたマスキングテープは、登録への勧告が出た5月半ば以降に新発売されたものです。
古墳カレー(1000円)
つぶあん入り御陵パン(190円)
「もず庵」で販売している古墳グッズいろいろ。
左から時計回りに、手焼き埴輪せんべい(432円)、古墳のふせん(各300円)、
古墳とはにわのマグネット(各378円)、古墳ますて(各450円)
百舌鳥古墳群の古墳を載せたマスキングテープ(450円)
※価格はすべて税込み
古墳は東北から九州まで各地にあります。形や大きさは身分によってきっちり分けられ、副葬品は時代によって変わってきます。大阪市立大学文学研究科の岸本直文教授に、古墳の広がりや見方について聞きました。
古墳は全国に10万~20万基あるといわれています。前方後円墳だけでも5千~6千基。北は岩手県南部から南は鹿児島県まで分布しています。前方後円墳はもともと近畿地方の墳墓の形でした。しかし、3世紀半ばに大和政権(ヤマト王権)ができると全国に急速に広がっていきました。約100年という短期間にです。
前方後円墳に埋葬されることは「大和政権のメンバーですよ」と認められたことを表しました。「地方のボス」だけに許された墳墓だったのです。だから、みんなこぞって同じ形のものを造りました。在位中に多くの人を使って大きなものを造り、自分の身分を示したのです。
4世紀以降は、さらに形と大きさ(全長)による格差が設けられます。形は前方後円墳、帆立貝式古墳、円墳、方墳の順です。また、大きいほど格が上で、全長は約7メートルを1単位として細かく規模が決められていました。古墳が身分の高低を表す装置として発展をとげたのです。
日本の古墳に限らず、中国にある秦の始皇帝陵(紀元前3世紀)など大きな墳墓は国家を統一したころに造られました。これは王を神格化して政権を保つためとみられます。6世紀末、聖徳太子(厩戸王、厩戸皇子)のころになり国家制度が整ってくると、大きな古墳は次第に造られなくなります。
古墳は今は「街や住宅地に残された緑地」として目に映ります。しかし、できた当時は全く逆で、原野に突如として現れる「人工的な建造物」でした。通常は3段で、斜面と斜面の間に平らな「テラス」部分があります。表面は河原から運んできた丸い「ふき石」で埋めつくされていました。
規格がしっかり決まっていて短時間で伝わったため、地域差はあまり大きくありません。それでも、関東ではふき石が少ないなどの違いはあります。九州は朝鮮半島の影響を受けて、棺を納める横穴式石室が早くに造られました。石でできた埴輪のような人や馬も特徴的です。
遺体と一緒に納められる副葬品は時代によって変わります。前期は腕輪や鏡が中心ですが、5世紀は甲冑、刀剣、弓矢などの武器になります。6世紀以降はきらびやかな金銀製品が出てきます。
古墳は地域の歩みの中で残されてきました。身近な古墳の形や大きさ、副葬品などを調べてみると、そこに古墳時代のさまざまな流れを読み取ることができます。大きさや時代の異なるものを比較すると、違いがわかっておもしろいでしょう。
岸本直文教授
(1) 会津大塚山古墳(福島県会津若松市)
三角縁神獣鏡など、東北では珍しい副葬品
(2) 天神山古墳(群馬県太田市)
東日本では最大規模の古墳
(3) 埼玉古墳群(埼玉県行田市)
複数の古墳をまとめて見られる
(4) 野毛大塚古墳(東京都世田谷区)
大型の帆立貝式古墳。出土品が世田谷区立郷土資料館で見られる
(5) 石舞台古墳(奈良県明日香村)
墳丘はなく巨大な石室が残る
(6) 造山古墳(岡山市)
全国で4番目に大きく、中に入れる古墳では最大
(7) 石清尾山古墳群(香川県高松市)
石を積み上げて造られた古墳
(8) 岩戸山古墳(福岡県八女市)
石でできた人や馬が並べられていた
埼玉古墳群
どれも(C)朝日新聞社
石舞台古墳
造山古墳
岩戸山古墳
記事の一部は朝日新聞社の提供です。