朝日中高生新聞
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「阪神・淡路大震災」から25年

2020年1月12日付

命の尊さ 伝えていきたい

 大地震が兵庫県などを襲い、6434人が亡くなった「阪神・淡路大震災」は17日、発生から25年を迎えます。あの日、がれきの中の神戸で生まれた命があります。神戸市兵庫区の会社員、なかむらつばささん(24)です。「神戸の人たちの優しさのおかげで僕はここにいる」と言います。(中塚慧)

1995年1月17日、僕が生まれた

 「子どものころは、あの日に生まれたことを重たく感じていました。でも今は、震災の日に生まれた自分には役割があると思っています」。17日に25歳になる翼さんは、そう力強く語ります。
 1995年1月17日、午前5時46分。父のたけさん(51)と母のひづるさん(50)は、神戸市兵庫区の市営住宅の10階にいました。下から突き上げる衝撃に、威志さんはとっさにひづるさんに覆いかぶさりました。
 1階まで階段を下り、近くの小学校へ避難。臨月のひづるさんが大きなおなかで凍えていると、車で避難してきた女性が車内で休ませてくれました。トイレで出血したため、威志さんの車で病院へ向かうことに。「痛みに耐えながら、神戸の街ががれきの山となっているのが見えた」とひづるさん。信号が止まり車は進みません。誘導していた警察官に事情を話すと、車線の脇を走らせてくれました。
 通院していた神戸市中央区の病院に、4時間かかって到着。停電し建物も半壊状態でした。余震がやまない中、威志さんが看護師とともに懐中電灯を照らし、ひづるさんは必死にいきみました。午後6時21分、翼さんが誕生。大きな産声を聞いて「よかった」と2人で涙しました。「その瞬間は地震のことを忘れられた」と威志さん。
 喜びもつかの間、病院に避難勧告が出ます。産湯にもつけられない翼さんを抱えた両親は、きょうだいを頼り、市内で比較的被害の少なかった北区へ逃げました。

多くの助けがあってここにいる

何も知らないのに… 学んで見えた「使命」

 翼さんが両親の体験を初めてきちんと聞いたのは、大学生の時。「母に覆いかぶさった父、車で休ませてくれた女性、車道脇を誘導してくれた警察官、病院の人たち。いろいろな人の助けがあった。奇跡がつながって、僕が生まれた」
 高校生のころまでは、誕生日を素直に祝えない気持ちがありました。「あの日に生まれた子」としてメディアの取材を受ける度に「震災のことを何も知らないのに、どう受け止めていいかわからなかった」。
 地震のことを知ろうと、神戸学院大学で防災教育を学びました。2011年の東日本大震災で被災した宮城県石巻いしのまき市で、ボランティアも体験しました。現在は、震災を伝えるグループ「語り部KOBE1995」の一員として、小中学校などで講演しています。
 「地震はいつどこであるかわからない。避難してきた人に僕の母のような人がいたら、そっと手をさしのべる大切さを頭に入れておいてほしい」
 自分の使命は両親の思いを受け継ぎ、次の世代に伝えていくこと。「これからも命の尊さ、助け合いの大事さを語っていきます」

【阪神・淡路大震災】

 1995年1月17日午前5時46分に起きたマグニチュード7.3の直下型地震。震源地は兵庫県・淡路島北部。淡路島や同県神戸市、西宮にしのみや市、あし市などで震度7を記録した。死者6434人、行方不明者3人、負傷者4万3792人に上る。約25万棟の住宅が全半壊した。

「両親の思いを伝えていきたい」と語る中村翼さんの写真
「両親の思いを伝えていきたい」と語る中村翼さん=昨年12月、大阪市北区

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