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2020年1月19日付
核開発問題などをめぐる中東イランと米国との対立が年明けからさらに深まり、一時は「戦争になるのでは」と世界に緊張が走りました。武力衝突は避けられましたが、両国の間には40年に及ぶ対立の歴史があり、周辺国にいる親イランの武装勢力が暴発する恐れもあります。平和への道筋は見えません。(中山仁)
緊張が一気に高まったのは今月3日、イランの隣国イラクの首都バグダッドで、イラクに駐留する米軍が、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を殺害したことがきっかけでした。ソレイマニ司令官が乗った車を無人機で攻撃。親イランの武装組織「人民動員隊」(PMF)の幹部らも犠牲になりました。
米国防総省は、ソレイマニ司令官について「米国の外交官と軍人を攻撃する計画を積極的に進めていた」と主張しました。
イラン政府は5日、2015年に米国など6カ国と結んだ核合意(米国は18年5月に離脱)の制限を破り、ウランの無制限濃縮を始めると宣言しました。高濃縮のウランは核爆弾の原料になります。
さらに、イラン革命防衛隊が8日、司令官殺害の報復としてイラクの米軍基地をミサイルで攻撃。中東地域を巻き込む全面衝突に発展するのではないかと、世界が心配しました。
米国のトランプ大統領は同日、ホワイトハウスで声明を発表。「イランに追加的な経済制裁を科す」としながらも、「米国は軍を使いたくない。米国の軍事と経済両面の強さが最大の抑止力だ」と、報復攻撃を避ける意向を示しました。米国人の死傷者はおらず、基地は最小限の被害ですんだといいます。
全面衝突の危機はひとまず避けられましたが、一方で、中東各地にいる親イランの武装組織の動きも見逃せません。12日と14日には、イランがミサイルで攻撃した基地とは別のイラクの米軍基地に、ロケット弾が撃ち込まれました。犯行声明は出ていませんが、PMFの報復との見方が出ています。同じような攻撃が続き、米国側に死傷者が出れば、再び緊張が高まる恐れがあります。
革命防衛隊は、イランが王制からイスラム教指導者による支配体制に変わった(イスラム革命)1979年、国軍が「反革命」に寝返らないよう、最高指導者直属で設立された組織。約12万5千の兵力があり、国軍をしのぐ軍事力を持つ。国外での作戦行動などを担うエリート組織「コッズ部隊」もあり、イスラム教シーア派の武装組織に武器を提供しているとされる。
ソレイマニ司令官は97年にコッズ部隊の司令官になり、周辺国でのイランの影響力を拡大する役割を果たしてきた。
レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラの追悼集会で飾られたイラン革命防衛隊・ソレイマニ司令官の写真=5日、レバノン・ベイルート
(C)朝日新聞社
●…主な米軍駐留施設
[1]~[4]…親イラン勢力のいる地域
([1]人民動員隊 [2]ヒズボラ [3]ハマス、イスラム聖戦 [4]フーシ)
(C)Google
イランがイラクの米軍基地をミサイルで攻撃した8日、その数時間後にイランの首都テヘランで悲劇が起きました。ウクライナ国際航空の旅客機が離陸直後に墜落。乗客・乗員176人全員が亡くなりました。イラン政府は「技術の問題」と説明しましたが、米国のメディアなどはイランのミサイルによって誤って撃ち落とされた可能性があると伝えました。
イラン政府は11日、ウクライナ機を誤って撃ち落としたと認めました。米軍の反撃に備えていたといいます。ロハニ大統領は「悲惨で許すことのできない間違いだった」として、イランと他国の犠牲者と家族に哀悼の意を表しました。
これを受け同日、テヘランなどイラン各地で、政府に反発する学生らのデモが起きました。イランでは昨年11月、ガソリンの値上げをきっかけに全土でデモが起きましたが、国民的英雄のソレイマニ司令官が米軍に殺害されたことから、一時、収まっていました。しかし、政府が旅客機の撃墜を隠そうとした疑いなどから、市民の不満や怒りが再燃しました。
今回、激化した対立の始まりは、米国のトランプ政権が2018年5月、米国など6カ国とイランとの核合意から一方的に抜けたことでした。オバマ前大統領(09~17年在任)が中心となって交渉をまとめた核合意は、米国内では共和党を中心に「イランに甘い」と批判が出ており、トランプ大統領も「重大な欠陥がある」として離脱を決定。イラン産原油の全面的禁輸などの経済制裁を次々に科しました。
これに対し、イランは昨年5月から、ウランの濃縮度を合意の上限以上に引き上げるなどの「制限破り」を繰り返し始めました。
米国は原子力空母をイラン周辺に派遣するなど軍事的圧力も強め始めました。昨年6月には米軍の無人機がイランに撃ち落とされ、イラク国内でのロケット弾攻撃も起きるなど、互いの挑発がエスカレートしていました。
1979年のイスラム革命後にイランが進めてきた核開発を制限する代わりに、経済制裁を緩める約束。2015年に米国、英国、ドイツ、フランス、中国、ロシアの6カ国とイランが結んだ。取りまとめの中心となったのは、当時のオバマ米大統領。
ウクライナ機が墜落した現場=10日、イラン・テヘラン郊外
(C)朝日新聞社
米国とイランの対立の歴史や、今後の見通しについて、大妻女子大学教授の五十嵐浩司さん(国際関係論)に聞きました。
Q 両国はなぜ、これほど対立するのでしょう。
A 両国が互いに不信感を持つようになったのは、今から40年余り前の1979年、イランの「イスラム革命」の時です。国王の政治に不満を持った人たちが、フランスに亡命していたイスラム教の指導者を押し立てて国王を追放し、イスラム教指導者の支配による今の体制ができました。
追放した国王を米国が受け入れると、これに抗議するイランの学生らが首都テヘランの米国大使館に入り、館員を人質に444日間、立てこもりました。この事件以来、両国は国交を断っています。
Q トランプ大統領が核合意から一方的に離脱し、再び経済制裁を強める決定をしたのは、なぜでしょう。
A 前任のオバマ大統領が枠組みをつくった核合意が気に入らないという思いもあるようですが、中東地域での、宗教がからんだ勢力争いがかかわっています。トランプ政権は、イスラエルやサウジアラビアとの関係が深いのです。
イランはイスラム教シーア派(少数派)の教えを信じる国ですが、サウジアラビアなど周りの多くの国はスンニ派(多数派)の教えを守っています。また、イランは古代から続くペルシャ人の国で、ほかの国々のアラブ人とは文化や言葉も異なり、仲が良いわけではありません。ユダヤ人の国イスラエルとも対立しています。サウジアラビアやイスラエルなどにとって、イランの核開発は身近な脅威です。
Q 米国とイランの対立はおさまりますか?
A お互い、戦争は望んでいないようですが、中東各地にいる武装勢力の暴発などをきっかけに戦争が起きる心配はあります。
しかし、国同士が対立していても、イランには米国の音楽や映画などが好きな若者も多くいます。日本の中学生、高校生の皆さんには、もし戦争が起きれば市民が巻き込まれるのだという想像力を働かせながら、ニュースを見ていてほしいと思います。
記事の一部は朝日新聞社の提供です。