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2016年1月31日付
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツがヨーロッパで繰り広げたユダヤ人の大量虐殺を「ホロコースト」といいます。ハンガリーの首都ブダペストで、ホロコーストから逃れることができたユダヤ人のヤーノシュ・ツェグレディさん(78)。ホロコーストの恐怖を描いた映画の公開をきっかけに、自らの体験を語りました。「過去に向き合い、未来を築くことが大切」と話します。(今井尚)
ホロコーストとは第2次世界大戦のころ、ヒトラー率いるナチス・ドイツが国内外にいたユダヤ人を差別・迫害し、600万人以上が犠牲になったできごとです。
ポーランドのアウシュビッツ強制収容所はその代表的存在で、約100万人のユダヤ人がガス室に送り込まれるなどして殺されました。この収容所は1945年1月27日、侵攻してきたソビエト軍によって解放されました。国連はこの日を「国際ホロコースト記念日」と定めています。
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37年、ブダペストでユダヤ人の家庭に生まれたヤーノシュさんは「当時のことは思い出すのもつらく、いつもはなるべく考えないようにしている」。これまで人前で体験を語ることはほとんどありませんでした。
44年3月19日、ナチス・ドイツはハンガリーに侵攻すると、ユダヤ人の虐殺を始めました。
ハンガリーからアウシュビッツ強制収容所に送られた人も多く、犠牲者は約40万人にのぼります。そのほかのユダヤ人も各地の収容所に送られるなどしました。
ヤーノシュさんのお父さんとお母さんも、それぞれ別の強制収容所に送られ、当時7歳だったヤーノシュさんはゲットーと呼ばれる強制居住区に送られました。
「狭い部屋に少なくとも7人ほどがいました。学校もおもちゃもなく、混雑し、明かりも暖房もなく、とても不衛生で、チフス(感染症の一種)がはやるほどでした。そこではまるで時が止まったかのようでした」
ときどき外に出ると、「路地には、疫病や寒さ、飢餓で亡くなった人がいて、大人たちが台車で遺体を回収していた光景をはっきり覚えています」。
ハンガリーにいたユダヤ人の7割にあたる約56万人が殺されました。そのなかでヤーノシュさんや、お父さん、お母さんも奇跡的に生き延びることができ、再会できました。
「父は解放された時、体重が28キ ロしかなかったそうです。想像してみてください。収容所がどれだけ過酷なものだったかを」
自ら体験したホロコーストについて話すヤーノシュ・ツェグレディさん=東京都新宿区の早稲田大学
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡に残る線路。かつて収容者たちが運ばれてきました=ポーランド
(C)朝日新聞社
戦後、ニュージーランドへ移り、ピアニストとしての道を歩みます。67年に来日。長年、日本の大学でピアノを教えてきました。
今でもドイツをうらんでいますか、という問いに「ナチスに対してはうらみがあります。でもドイツ人に対しては違います。彼らは戦後、過去に対して真剣に向き合ってきました。敬意を感じます」と答えます。ドイツは戦後、ユダヤ人に対する謝罪や賠償を繰り返してきました。
一方、祖国ハンガリーについては「過去に向き合わない、いらだちのようなものを感じています」と話します。
ハンガリー政府は、ナチス・ドイツによる占領が始まる前からユダヤ人を激しく差別し、ナチス・ドイツにも協力的な姿勢だったとされます。
ところが近年、ブダペストに、凶暴なタカが天使に飛びかかるデザインの記念碑が建てられました。ナチス・ドイツ(タカ)が無垢なハンガリー(天使)に襲いかかった様子が表されています。「ハンガリー人は被害者だとする記念碑には、悲しみや心の痛みを感じる」といいます。
さらに、長年日本に暮らし「日本が過去にまだ向き合うことができていないことについて悲しく感じる。自分たちの過去に向き合うべきです」と話します。
日本の子どもたちには「見聞きするニュースやできごとについて、本当なのか?と、自分自身に問いかけてください。答えを見つけるよりも、問い続ける方が大切だということを忘れないでほしい」とメッセージを送ります。
ヤーノシュさんは今月、早稲田大学で開かれた交流会に参加し、学生らの質問に答えました。
Q(質問) 何年も話せなかったことを、どうして今、話すことにしたのですか?
A(答え) 今でもできるだけ振り返りたくないと思っています。好奇心だけでたずねられれば話す気にはなれませんが、私の話がみなさんの役に立つのであれば、話すべきだと考えました。
Q 人間の何が、ホロコーストのような、ひどい行いをさせるのでしょうか?
A 私も何年も考え続けていますが、答えはいまだに分かりません。
Q ドイツを憎んでいますか?
A ナチスについてはイエスですが、ドイツについてはノーです。
ドイツはひどい過去に向き合い、社会を変え、新しい世代を築こうと努力してきました。戦後15年ほどして私はドイツに留学しましたが、当時テレビやラジオは、ナチスが何をしてきたかという番組をよく放送していました。
この世界には、自国の加害の歴史に向き合っていない国があります。ドイツは過去に向き合ってきたよい例と言えるのではないでしょうか。
ヤーノシュさんは、映画の公開に合わせて体験を話してほしいと求められ、取材に応じました。
映画は1944年、アウシュビッツ強制収容所で仲間の死体処理をさせられた、あるハンガリー系ユダヤ人の生き方を描いた話です。
ゾンダーコマンドと呼ばれた彼らは、ユダヤ人でありながら、わずかばかりの延命と引き換えに、ナチスに使われるという二重の苦悩をかかえました。
主人公のサウルは、息子と信じる子どもの遺体を埋葬することに、命の意味を求めようとしました。
ヤーノシュさんはこの作品について、「収容所の状況を正確に伝えてはいますが、描かれているのはごく一部」といい、ホロコーストをより多角的に知ることを求めます。良識あるドイツ市民が、どうしてナチスの野蛮な行いにのめり込んでいったのか、考え続ける必要があるといいます。
1929年10月 世界恐慌が始まる
33年1月 ヒトラーがドイツの首相になる
35年9月 ユダヤ人を差別する法律(ニュルンベルク法)ができる
39年9月 ドイツがポーランドに侵攻、第2次世界大戦が始まる
42年1月 ナチスの高官による会議で、ユダヤ人の絶滅計画が決まる
44年3月 ドイツがハンガリーを占領
5月以降 ハンガリーのユダヤ人40万人以上がアウシュビッツ強制収容所に送られる
45年1月 ソビエト連邦軍がアウシュビッツを解放する
5月 ドイツが降伏
オーストリアにあるマウトハウゼン強制収容所跡の記念博物館に飾られている犠牲者の写真
(C)朝日新聞社
ハンガリー政府が建立した占領記念碑。ハンガリーを表す天使にドイツの象徴タカが飛びかかる=ブダペスト
(C)朝日新聞社
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