朝日中高生新聞
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郷土の誇り 熊本城を救え!

2016年5月22日付

修復プロジェクト始動

 熊本地震で大きな被害を受けた熊本城は、地元の人たちが大切にしているシンボルです。国や熊本県、熊本市が集まり、修復に向けた話し合いを始めました。築城400年で最大の地震被害を受けましたが、復興への希望となり、後の世の人たちにつないでいくためのプロジェクトが動き出します。(編集委員・別府薫)

築城以来最大の地震、石垣50カ所以上崩壊

 最初の地震がおそった4月14日夜。NHKの定点カメラが熊本城を映し出しました。照明で夜空にうかび上がった天守閣からは、激しい横揺れで土煙が上がりました。
 文化庁の文化財調査官で、石垣が専門のとうまささんはハラハラしながら見守っていました。「屋根瓦が落ちたときに、瓦の下に敷いてある土が舞い上がったのでしょう。一部の石垣もくずれましたが、決定的な被害につながったのは16日の本震でした」
 余震が続き危険だったため、現地調査に入れたのは約1週間後。無残な巨石の山を前に言葉を失いました。「これまでの経験では見通せない規模の被害。どうしたら元に戻せるのだろうと、まず考えた」と振り返ります。
 熊本城は日本三名城の一つに数えられ、守りの堅さで知られます。約400年前に戦国武将のとうきよまさが造ったころの姿をとどめる石垣は、国の特別史跡「熊本城あと」の一部です。「しゃがえし」と呼ばれ、上にいくほどまっすぐになる独特の曲線でも知られます。市によると、少なくとも石垣の50カ所以上がくずれています。
 江戸時代からたびたび地震の被害にあい、修復を重ねてきました。1889(明治22)年の地震の被害が特に大きく、当時、城を使っていた陸軍がなおしています。軍の機密もあり詳しい記録は残っていませんが、石垣の積み方が違うので、おおよその規模は分かっているそうです。「今回の被害はそれを上回る。築城以来、最大の地震だったことがわかります」と五島さん。
 石垣の上に建つやぐらなど13ある重要文化財の建物もすべてが被災しました。建物が専門の主任文化財調査官、とよひろゆきさんは「修復工事は、戦の防御のための建物ならではの難しさがある」と説明します。どうやってなおすのでしょうか。

400年余の歴史

 【熊本城】
関ケ原の戦い(1600年)後の07年、初代熊本藩主の加藤清正が築く。江戸時代の大半は、細川氏が藩主を務めた。初めて戦いに使われたのは、1877(明治10)年の西南戦争。官軍が城にたてこもり、西さいごうたかもりが率いる薩摩軍をよせつけなかった。しかし、このときの火災で天守閣や本丸御殿などは焼けてしまった。
 現在の天守閣は、1960(昭和35)年に再建された鉄筋コンクリート製。熊本市は98年から築城当時の姿への復元計画を進めていた。2015年度は、約177万人が訪れた観光名所。いまは立ち入り禁止になっている。

地震で石垣などが崩れた熊本城の写真
地震でくずれた石垣や建物。後ろは天守閣=11日、熊本市中央区(C)朝日新聞社

パズルのような修復作業

工期や費用めど立たず

 石垣は本丸にいたる道の左右などにそびえ、上のやぐらから敵を攻撃します。敵をよせつけない入り組んだ道や深い堀が、足場を組んだり、作業の車が入ったりするときも障害になるのです。
 ふつうの修復の場合、石垣の石に番号を振ってから取り外し、積みなおします。今回はくずれてしまっているので、写真などの記録をもとに、どの石がどこに入るかを推理することから始めなくてはなりません。五島さんは「ジグソーパズルのような作業。400年前のいしとの知恵比べですね」と話します。
 石垣といっしょにくずれてしまったやぐらも問題です。石のなかから、建物の木材や瓦、土壁などをより分け、石垣がなおるのを待って組み立てるしかありません。使われていた材料をなるべく残し、新しく加えるものは構造上の強度を保つためなど必要なごく一部におさえます。「復興もまた歴史の一部。傷があるからこそ災害の歴史が伝わる」と豊城さん。
 石垣も、歴代の修復の跡を含めて再現します。「ただ、また地震でくずれてしまっては大変なので、耐震と伝統的な姿とのバランスを議論していくことになるでしょう」(五島さん)
 シンボルの天守閣など19の復元建造物もなおします。12日、県と市、文化庁、国土交通省の担当者が集まり、優先順位などを話し合いました。実際の作業は、余震がおさまってから。工期や費用の見通しは、まだ立っていないといいます。

復興の過程を見てほしい

 地震国の日本。長い歴史のなかで、壊れてはなおすという修復の技術がみがかれてきました。
 五島さんも豊城さんも現地調査のときに、自分のことはさておき城の心配をする地元の人々の姿が印象に残っています。
 「先人たちが守ってきたから今があることを分かっているので、地域の誇りになっているのでしょう」と五島さん。「修復のようすを公開する機会が必ずあると思う。生きている文化財の姿から、また愛着を持ってもらいたいですね」と話しています。

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