東京・墨田区・業平小

 あゆみ
 1918年(大正7年)、東京の下町、墨田区業平に業平尋常小学校として開校。93年の歴史があります。当時の校舎は木造2階建て。児童数は2100人でした。

 

 二度の全焼
 23年の関東大震災で全焼。建て直された校舎も45年3月の東京大空襲で全焼しました。学校に避難した300人以上が亡くなりました。学区で焼け残った家は一軒もありませんでした。

 

 児童数
 全学年2学級ずつ、知的障害のある子のさくら学級が3学級の15学級、404人です。

 

 校歌
 1936年(昭和11年)にできました。作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰。二人は「待ちぼうけ」「からたちの花」「この道」など、今でも歌いつがれる歌をいくつも一緒に作りました。校内には歌碑があります。「子どもたちには難しい文語体の歌詞ですが、大きな声でよく歌うんです」と校長の瀬戸英一先生。近く図書室に白秋の童話全集をそろえるそうです。

 

 校訓
 校歌にある「独学自修」です。自分から勉学にはげみ、自らを高め、伸ばしていく意味です。

 

 スカイツリー
 2008年に建設が始まり、完成すると世界一の高さの自立式鉄塔になる「東京スカイツリー」は、学校から300メートル。正門前の通りは、正面にツリーがよく見え「タワー通り」と呼ばれます。「子どもたちは、『うちの街のタワー』を身近に感じ、一緒に伸びていくのを実感しているようです」と校長の瀬戸先生。よく写真を撮っている4年生の男の子は、「学校から撮っても全体が写らなくなっちゃった」。

 

 偉大な先輩
 868本塁打の世界記録を持ち「世界のホームラン王」と呼ばれる元プロ野球巨人の王貞治さんは、1953年に業平小を卒業しました。アメリカの大リーグでプレーし、今は日本ハムの多田野数人投手も卒業生です。校長室の前には、王さんが学校に贈ってくれた「気力」と書かれた色紙がかざられています。体が大きかった王さんも、多田野投手も、負けずぎらいで相撲がとても強かったそうです。

 

 業ちゃん
 平安時代の歌人・在原業平がモデルの業平小のキャラクター。図工の先生が作りました。運動会で着るシャツなどにあしらわれます。業平は近くを流れる隅田川のほとりで和歌を詠んだと言われ、「業平橋」などの地名の由来になりました。

 

 業平音頭
 地元の音楽家と舞踊家がつくった踊りです。運動会などで踊ります。最近、両手を末広がりで縁起がいいとされる「八」の字をかくように下ろし、スカイツリーを表現する「タワー音頭」も完成。子どもたちにも好評です。

 

 英語学習
 昨年度から区の特色ある学校づくり推進校に。「英語活動」を重視し、楽しくゲーム感覚で学べる工夫をした区独自の教科書を使っています。

 

 運動会と五輪
 前後期、運動会か「業平オリンピック」のどちらかを開きます。オリンピックは、高学年を中心に子どもたちが審判などいろいろな役割を担い自主的に運営、たて割りの32チームが競います。

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