【人口】
364万3641人(2008年5月1日推計)。日本の市で最多。
【面積】
434.98平方キロメートル
【政令指定都市になった年】
1956年
【自然と気候】
東京湾に面し、6月と9〜10月に雨量の多いのが特徴です。年間平均気温は約16度で比較的おだやかな気候です。
【港の街】
開港 江戸時代末期の1854年、アメリカから黒船に乗ったペリー提督(司令官)が前年に続いて日本をおとずれ、江戸幕府に開国をせまりました。幕府は横浜村でアメリカと日米和親条約を結び、鎖国をやめて開国=写真1は「ペリー提督・横浜上陸の図」(横浜開港資料館所蔵)。58年には日米修好通商条約を結び、59年に横浜村に港を開きました。開港した6月2日は、市の休日です。
横浜港 入港する船の数は4万3157隻で全国2位。貿易額は、愛知・名古屋港、東京港に次ぎ、第3位の12兆7800億円。1860年から1941年までは、絹織物の糸になる生糸が横浜港の輸出品のトップでした。現在は、自動車がトップです(2007年度)。大きな客船などが停泊する「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」(中区)は、横浜港のシンボル。初代の大さん橋ができたのは1894年(明治27年)。2002年に新大さん橋が完成しました=写真2。
482人 開港した1859年の横浜村の人口。その後、生糸を中心とする貿易都市として発展を重ね、1927年50万人、42年100万人、68年200万人、2002年に350万人と増え続けています。
横浜市開港記念会館(中区) 市民の寄付金で1917年に建てられた、赤れんがと御影石のしまもようの外壁と時計塔が特徴の建造物=写真3。89年、国の重要文化財に。
ものの始め 横浜が開港されると外国の人たちがやってきて、さまざまな分野の西洋の知識や文化を伝えました。横浜から全国に広がった西洋文化はたくさんあります。パン(1860年)、理容店(64年)、アイスクリーム(65年)、日刊の日本語新聞(70年)など。
洋館 山手地区(中区)はかつて外国人が住んだ場所として洋館が残っています。資料館になっている「エリスマン邸」、昭和初期の外国人向けアパート「山手234番館」=写真4=、スペイン風の住宅「ベーリック・ホール」などがあります。
横浜中華街 開港当時、中国料理店は2、3軒でしたが、関東大震災後に現在の場所(中区)に移り、大通りの両側に店が並ぶようになりました。現在の中華街=写真5=は約500メートル四方に広がり、中国料理店は239店(2006年7月調べ)。
元町(中区) 山手に住む西洋人向けの商品をあつかう商店街が始まり。大正時代初め(1910年代)には、当時としてはめずらしい洋服屋、西洋家具屋、パン屋などが並びました。今も、おしゃれな雰囲気をただよわせ、独特なファッションの発信地にもなっています。
みなとみらい21地区(西区) 造船所や港があった市の中心部を再開発してできたエリア。商業施設と文化施設、住宅用高層ビルなどがあります=写真6。日本一の高さ295.8メートルの横浜ランドマークタワー、日本で初めての「浮体式」の船のターミナル「ぷかり桟橋」があります。ここから、横浜駅、山下公園などへの定期船や観光船が発着します。
港北ニュータウン(都筑区) 市北部の「副都心」として、緑豊かな田園風景と近代的な町並みが共存する、新しい街づくりが進められています。市営地下鉄3号線に続き、2008年3月には同4号線も開通しました。
【よく買われているものは】
シューマイ 横浜市の家庭が1年間でシューマイに使ったお金は2687円。都道府県庁所在地など49都市の中で1位です。全国平均は1051円(2007年度総務省統計局の「家計調査」から)。
【最近の話題】
G30 「G」はごみを表し、「30」はごみの削減目標を表します。増え続ける家庭や会社などからのごみの排出量を、2001年度の161万トンから10年度までに30%減らそうという市の取り組み。ごみの分別ができていない「違反ごみ」には、回収しないで違反のシールをはります。
開港150周年 来年です。記念イベントの準備が始まっています。世界の子どもがフェアプレーの精神で語り合う「世界こどもスポーツサミットin横浜」が09年8月、みなとみらい21地区で開かれる予定です。