わたしと朝小

朝日中学生ウイークリー

 

 学者やアイドルなど各界で活躍する元朝小読者に聞く「わたしと朝小」。最終回は、みなさんのお兄さんやお姉さんのような大学生2人を紹介します。朝小で記事をスクラップする習慣が身についたという東大生と、朝小の取材経験から記者という仕事に興味を持ち、新聞記者をめざしている慶大生です。

 

 

スクラップで日本語を学んだ

 

鈴木恵美里さん(東京大学法学部4年)

鈴木恵美里さん=東京都文京区の東京大学赤門前で

 

文学的表現や学術的な専門用語

 

――小学生のころ、どのようにスクラップをしていたのですか。


 決まったテーマはなく、その日興味を持った記事を切ってノートに貼り、日付を書いていたんです。
わからない漢字や言葉が出てくると、線を引いて、ノートに写していました。それは、今も習慣になっていますね。


――どういう目的で?


 日本語の勉強、ですね。文学的な表現や学術的な専門用語など、新聞でしか見ないような単語があります。わたしは映画が好きなんですが、先日、映画「ブラック・スワン」の批評の中で「姦計」(「悪だくみ」の意味)という言葉が出てきたので、調べました。わからない言葉をそのままにしておくのは、不安なんです。


――朝小の思い出は。


 病院で心臓の手術を別室のモニターで見られるというイベントが紹介されていました。わたしはお医者さんになりたかったんです。その病院が家から近かったので行きました。読んでてよかったと思いましたね。
ほかに、同年代の女の子が科学者にインタビューしているのを見ると、すごくうらやましかったです。


――中学受験をしたそうですね。


 親のすすめで、難関といわれる私大の付属校を受験し、落ちてしまいました。わたし自身はあまり興味がなかったんですが、やっぱり残念で、この失敗を取りかえそうと勉強しました。
公立中学に通うと、社会科の先生がちょっと変わっていて、テストで満点を取らせないように、時事で、いやがらせみたいな難しい問題を出すんです。その対策として朝日中学生ウイークリーをすみずみまで何時間もかけて読んでいました。そうして百点が取れたときの達成感は、この上なかったですね(笑い)。

 

 1988年、神奈川県生まれ。同県小田原市三の丸小、城山中、東京学芸大学付属高校(東京都世田谷区)を卒業し、東京大学に進学。

 


 

記者めざすきっかけになった

 

籏智広太さん(慶応大学環境情報学部4年)

 

 

籏智広太さん=東京都港区の慶応大学図書館旧館前で

 

 

朝小リポーターとして首相に取材

 

――朝小の思い出は。


 六年生のとき、朝小リポーターとして小泉純一郎首相にインタビューしたことです。普通の小学生ができないことを経験させてもらい、今でも編集部の方に感謝しています。もともと文章を書くことは好きでしたが、なかなか会えないような人にも会える記者という仕事に興味を持ちました。


――朝小を読むきっかけはなんだったのですか。


 母が朝小読者だったので、小学1年生から読み始めました。1、2年のころは母に読んでもらい、自分で読み始めたのは3年生のころ。そのころから投稿コーナーに作文を送り始めました。朝小に初めて掲載された紙面を先生が学校にはり出してくれ、みんなにすごいといわれて、自信になったことを覚えています。
 4年生のとき、茨城県東海村で起きた臨界事故をテーマに、原子力発電所の安全性には疑問があるといった内容の作文を書いて送ったこともあります。作文を投稿したことで、文章力が身についたと思います。


――大学では国際協力の学生団体を組織したそうですね。


 友人と二人で、国際問題について学び・伝え・救う、という三つの活動を掲げた団体をつくり、パレスチナやカンボジアなどへ取材に行ったり、現地のようすを伝える写真展を開いたりしました。今はメンバーが130人になりました。 国際問題に関心を持ったきっかけのひとつも朝小のユニセフの記事でした。
 新聞の良いところは、自分が興味のないことでも知るチャンスがあること。やりたいことを見つけるためにも、アンテナを広くはっていくことが大切。朝小には、いろんなテーマの記事があるので、アンテナを広げるのにいいと思いますよ。

 1989年、神奈川県生まれ。横浜国立大学付属横浜小・中学校を卒業。慶応義塾高校に推薦入学し、慶応大学に進学。

 


2011年6月5日付

実際の紙面ではすべての漢字に読みがながついています。
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