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奈良の都塚古墳、何が話題?

 

 

 

正方形で階段、ピラミッドみたい


朝日新聞橿原支局 塚本和人記者

 

ジャン  めずらしい形の古墳が話題になっているみたいだけど、何があったの?

 

塚本記者 奈良県明日香村にある都塚古墳が、6〜7世紀の日本ではほとんど例がないピラミッドみたいな形だった可能性の強いことがわかったんだ。

 

ケン 都塚古墳って、どんな遺跡なの?

 

 

 

 

 

 

 

 

――明日香村は「飛鳥」とも呼ばれる地域で、今は静かな山里なんだけど、1400年ぐらい前は日本の中心だったんだ。天皇の宮殿や役所があり、中国大陸や朝鮮半島の進んだ文化や技術も集まっていた。
 古墳とは、高く土を盛ってつくられた古い時代のお墓のこと。都塚古墳は6世紀後半ごろにつくられたけれど、土を盛った高まりの部分はのちの時代にずいぶん削られてしまったみたいだ。
 ただ、遺体を納める石棺と、その石棺を安置するための大きな石を組み合わせた石室(全長約12メートル)は残っていて、そのりっぱさから、身分の高い人の墓じゃないかと言われてきたんだ。


ポン 今回はどんな発見があったの?


――明日香村教育委員会と関西大学が発掘調査したところ、古墳の大きさが東西約41メートル、南北約42メートルのほぼ正方形の「方墳」とわかったんだ。もっとおどろいたのは古墳の高まりから、石を階段状に積み上げた跡が見つかった。高さは4・5メートル以上、階段は5段以上あったとみられる。


ジャン  どんな人のお墓なのかなあ?


――都塚古墳のつくられた場所は、大きな石を組み合わせてつくられた石舞台古墳に近く、飛鳥時代前半に大きな力を持っていた大豪族の「蘇我氏」と関係の深い土地なんだよ。石舞台古墳に眠っているという説がある蘇我馬子は、飛鳥時代が始まった推古天皇の時代に聖徳太子といっしょに日本の政治を引っ張っていた。
その息子の蝦夷、蝦夷の息子の入鹿の時代には、天皇を超えるほどの力を持ったんだ。蘇我氏は主に朝鮮半島から渡ってきた「渡来人」とのつながりが深いとされ、渡来人の持つ最新文化や技術を握ったことで力を強めたという説もある。
だから、都塚古墳は蘇我氏や渡来系の有力者の墓ではないか、という考え方が出ているんだ。


ジャン  専門家の人たちはどうみているの?


――飛鳥時代の歴史に詳しい京都橘大学名誉教授の猪熊兼勝先生は、さらに一歩進めて「蘇我一族の基礎をつくった稲目の墓ではないか」とみる。稲目は570年に亡くなるまで、2人の娘を天皇に嫁がせ、伝わったばかりの仏教に理解を示すなど蘇我氏が栄える基礎をつくった。
猪熊先生によると、都塚古墳の石を積んだ階段状の形が、今の中国東北部から北朝鮮にかけて力を持っていた「高句麗」という国の古墳の形からも影響を受けた可能性があるという。稲目が高句麗の女性を妻に迎えたとする記録もあり、高句麗と何らかの関係があったのかもしれない。


ケン これからの研究にどう影響するかなあ?


――日本列島では3世紀半ばから約350年間、天皇や豪族のお墓などに「前方後円墳」という形の古墳がつくられ続ける。6世紀末ごろで前方後円墳から方墳に変わっていくけど、都塚古墳がその先駆けだったのかもしれないね。
この時代は日本の周りでも大きな変化が起きていたんだ。お隣の中国では「隋」という強国が登場し、朝鮮半島に迫ろうとしていた。日本もその変化に対応しようと、豪族たちが争っていた時代から天皇中心の時代に変わろうとしていた。こうした東アジア情勢の変化の時代に、都塚古墳がつくられた意義についても考えていきたいね。

 

過去の記事↓

◆太平洋クロマグロ(2014年9月13日)

◆安倍内閣の顔ぶれが変わったの?(2014年9月7日)

◆奈良の都塚古墳、何が話題?(2014年8月30日)

2014年8月30日付

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