広島市中区・本川小

 場所

 広島電鉄本川町駅から徒歩約3分。近くを流れる本川の対岸に平和記念公園や原爆ドームがあります。

 

 あゆみ

 1873年1月創立。1945年8月6日に投下された原爆の爆心地から410メートルしか離れていませんでしたが、広島市で初めてつくられた鉄筋コンクリート3階建ての校舎は残り、翌年2月には授業が再開されました。今も校舎の一部が残っています。47年に今の校名、本川小学校になりました。

 

 校章

 1917年にできました。朝日と桜の花がデザインされており、朝日に美しく照り映える桜の花をイメージしています。「敷島の 大和心を 人問わば 旭日に匂う 山桜花」という江戸時代の国学者、本居宣長の和歌をお手本にしています。

 

 教育目標

 「心豊かでたくましく、平和を求める子どもの育成」

 

 児童数

 2010年6月現在、全部で15クラス、約340人。現在の校長は空間浩道先生です。

 

 平和資料館

 1945年8月6日の広島への原爆投下のとき、爆心地から410メートルしか離れていなかったのにもかかわらず、無事に残った校舎の一部を被爆の証しとして残しています。当時、学校では授業が行われており、約410人の子どもらが被爆し、亡くなりました。館内には、原爆でとけたガラスびんやかわらなどが展示されています。修学旅行などで全国各地の子どもたちが訪れたときには、6年生が館内を案内。

 

 シンボル

 原爆が投下された広島では「70年間、草木も生えないだろう」といわれましたが、投下の翌年、校庭に芽を出してみんなを元気づけたのがニワウルシです。「原爆投下後、一番早く芽を出した木なので大切にしよう」という思いで育てられてきました。近年、病気になり倒れそうになっていましたが、去年周りに支えを取りつけ、最近新しい葉っぱが出てくるようになりました。二世も大きく育っています。ニワウルシの世話をするのは3年生。毎日話しかけたり、害虫を取ったりしています。

 

 平和音楽劇

 原爆投下で被爆した児童のうち、ただ一人生き残っている横浜市に住む女性が、当時のようすなどを書いた手記をもとにした劇を、全校児童で毎年、演じます。当時の本川小を舞台にしており、毎年少しずつストーリーを変えています。6年生が中心となり、原爆のおそろしさや平和の大切さを体全体を使って表現。1年生は女性の気持ちを歌で表現します。保護者や地域の人たちが11月の日曜参観日に観賞します。

 

 被爆遺跡パンフレット

 6年生が校内と校区にある被爆遺跡をめぐり、それぞれの特徴を学習。遺跡の場所や写真、歴史などをまとめたパンフレットを作りました。校内編では、戦争前に顔や手を洗うなどするのに使われていて、原爆で黒こげになってしまった石などを紹介。校区編では、建物の90%が破壊された寺や、原爆で亡くなり、身内が分からない人の骨を集めてつくった仏像がある寺などについて説明しています。

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