朝日小学生新聞
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東京オリンピック・パラリンピック2020 

■アスリート

 

「勝って喜ぶためにやる!」
レスリング(女子57キロ級)川井梨紗子選手にインタビュー


(朝日小学生新聞2020年1月1日)


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かわい・りさこ 1994年11月21日生まれ。石川県出身。至学館大学卒業。ジャパンビバレッジに所属。


 

 去年9月の世界選手権で優勝し、東京五輪の出場が内定しました。低い姿勢からタックルをねらうなど、攻撃型のレスリングが持ち味です。前回2016年のブラジル・リオデジャネイロ五輪では、63キロ級で金メダルをとりました。
 朝小リポーターの杉浦さん(6年)が去年11月、川井選手が練習する愛知県の至学館大学を訪ねました。
 東京五輪の目標を聞くと、「もちろん優勝です!」。
 試合で結果を出してきたのは、毎日の練習の積み重ねがあったからと考えます。「練習がつらいなと思ったときは、『何のためにやるんだ?』と自分に問いかけます。試合で勝って喜ぶ。その目標を胸にがんばります」
 両親がレスリングをしていた影響で、小学2年のときレスリングを始めました。「どんな技をかけるかなど、相手とのかけひきがおもしろかった」と川井選手。思い通りにいかないときは「こういう日もある。ずっとうまくいかないわけではない」と前向きにとらえます。
 杉浦さんは、「自分を色で表すとしたら?」という質問もしました。
 「青かな? 青色を見ると、冷静になれると聞いたことがあるから」。試合のときも、冷静さを失わずに戦うことを心がけているそうです。
 東京五輪には妹の友香子選手(22歳)も、62キロ級で初出場します。「友香子は大切な存在。いっしょにがんばってきたから、苦しいことも乗りこえられました」
 五輪で子どもたちに、レスリングの試合を見てほしいといいます。「残りの数秒で逆転するなど、最後まで勝ち負けがわからない。目がはなせない試合を楽しんでください」


「世界一の信頼関係で勝つ」
ソフトボール 藤田倭選手 我妻悠香選手にインタビュー


(朝日小学生新聞2020年1月1日)


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ふじた・やまと 1990年12月18日生まれ、長崎県出身。太陽誘電所属。2016年の日本リーグで最多勝と本塁打王を同時受賞し、MVP(最高殊勲選手)にかがやいた。

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あがつま・はるか 1994年12月18日生まれ、埼玉県出身。ビックカメラ高崎に所属し、主将を務める。日本代表の正捕手。


 東京大会で五輪種目に復活したソフトボール。なくなる前の2008年の中国・北京大会で、日本は金メダルにかがやきました。再び頂点をめざす女子日本代表を、朝小リポーターの片岡さん(5年)が取材しました。
 話を聞いたのは、投手と打者の二刀流で注目される藤田倭選手と、正捕手の我妻悠香選手です。
 ソフトボールは野球に似ていますが、ベース間の距離が短く、ボールが大きいなどのちがいがあります。我妻選手は「一つエラーをしたらすぐにランナーが塁を進んでしまいます。スピード感があるのが見どころです」と話します。
 試合では投手と捕手として力を合わせます。おたがいをどう思うか、聞きました。どちらかというと一人が好きという藤田選手と、みんなとなかよしの我妻選手は、「性格は自分と真逆」と口をそろえました。
 6年前に日本代表の合宿で出会いました。初めは言葉が足らず、ぎくしゃくした関係が続いたそうです。「でも2人ともこれからチームの柱になっていくとわかっていたから、時間をかけて、相手を知ることから始めました。今は、ここ(投手と捕手)の信頼関係は他の国に負けない。おたがいの気持ちが一致していたら最高のボールが出ます」と藤田選手が教えてくれました。
 スポーツや勉強などをがんばっている子へのアドバイスとして、我妻選手は「私は目標を必ず作っています。5年後、3年後こうなっていたいという目標も大事だし、今日、1週間後の目標も作ると、毎日の練習が『何となく』にならない」といいます。
 五輪に向けて藤田選手は「見ているお客さんの心に残るプレーができるように、せいいっぱいがんばっているので応援してください」と意気ごみを話しました。


     

小さい体で技をくりだす
水泳・男子高飛びこみ 玉井陸斗選手


(朝日小学生新聞2020年1月1日)


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たまい・りくと 2006年9月11日生まれ。兵庫県出身。3歳の時にJSS宝塚スイミングスクールで水泳を始め、小1から飛びこみに打ちこむ。


 「好きな言葉は『努力』。2020年も努力し続けたい」。水泳の男子高飛びこみで東京五輪をめざす13歳の玉井陸斗選手(兵庫県宝塚市立高司中1年)は去年、「快進撃」が続きました。日本室内選手権、日本選手権ともに最年少で優勝。マレーシアとシンガポールの国際大会ではどちらも銀メダルを獲得しました。
 水面の上10メートルの高さから、前宙返り4回半抱え型など難しい技を次々と決めます。自身の強みは「体の小ささ」と胸を張ります。身長148センチ、体重41キロで、「身長はクラスで前から2番目です」。「小さい体を生かして形をきれいにとり、入水もしっかり決められることが、ぼくの『武器』です」
 見事な腹筋は、両足にあわせて1キロの重りをつけ、肋木にぶらさがった腹筋運動できたえています。
 目標は「東京五輪に最年少で出場して、世界のトップの人たちと争うこと」。2月の代表選考会を経て、4月のワールドカップ(東京)で18位以内に入れば五輪の出場が決まります。


いつもわくわく めざせ70キロ パワーリフティング(女子55キロ級)山本恵理選手

(朝日小学生新聞2020年1月1日)


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 やまもと・えり 1983年5月17日生まれ、兵庫県出身。パラ競技の水泳やアイスホッケーでも活動。現在は日本財団パラリンピックサポートセンターの職員として働きながら、パワーリフティングの試合に出場している。


 

 山本恵理選手は生まれつき、足に障がいがあります。子どものころから、「まずは挑戦してみる」という考えでした。パワーリフティングも2016年に体験会で試してみたことが、競技を始め、パラリンピックをめざすようになったきっかけです。
 パワーリフティングは、持ち上げたバーベルの重量を競います。まっすぐ上がらず、どちらかにかたむくなどすると失敗。パラリンピックでは、足に障がいのある選手が出場します。ベンチに横たわって、バーベルを上げます。
 この競技で日本女子は、パラリンピックに出場したことがありません。山本選手は東京大会で、女子初めての選手の一人になることをめざしています。
 朝小リポーターの橋本さん(3年)と福留さん(3年)が去年12月、練習場を訪ねました。
 競技のおもしろいところは、「体と心をきたえ、練習を続ければ記録がのびていくところ。私は、楽しくなければ続かないので、わくわくしながらやっています」と言います。16年に初めて試合に出たときの記録は37キロでしたが、去年9月、これまでで最高の63キロを上げました。
 東京大会に出場できるように、春までには70キロをこえることをめざしています。コーチからは「自分をもっと信じて」とアドバイスされるそうです。「重いと思ったときは上がらない。反対に『いける!』と思ったときは上がります」
 好きな言葉は「意志あるところに道は開ける」。「自分がその道にいきたいとずっと思っていれば、たどり着くことができる」とお父さんに言われたことを大切にしています。
 子どものころ始めた水泳で、パラリンピックをめざした時期もありました。しかし、けがであきらめなくてはなりませんでした。「パラリンピックは『夢の舞台』。もう一度、出場をめざすチャンスをもらえたと思ってがんばります」
 子どもたちには、「私はパラスポーツが大好きです。みなさんも、好きなことを見つけて楽しんでください」とメッセージをおくります。


選手たちの努力にエールを! 元パラ射撃日本代表 田口亜希さん
(朝日小学生新聞2020年1月1日)

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たぐち・あき 1971年3月12日生まれ、大阪府出身。元パラ射撃日本代表。パラリンピックには2004年ギリシャ・アテネ、08年中国・北京、12年イギリス・ロンドンの3大会連続で出場した。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員。


 田口亜希さんは、2020年の大会を東京に呼ぶためのプレゼンテーターを務めた一人です。開催に向けて力をつくしてきました。「長いようで短かった。一つひとつ自分たちがつくってきたものが間もなく公開されるんだと、わくわくしています」と話します。
 田口さんは、25歳のときに脊髄の病気で車いすの生活になりました。パラ射撃には、友だちの紹介で出合いました。弾を目の前の的の中心に当てたい。そんな気持ちで練習をしていくうちに、気がつくと04年ギリシャ・アテネ大会の出場がねらえる位置にいました。
 「出場するためには残りの時間で何をすればいいか、目標を持って、計画を立てている自分にびっくりしたんです。病気になってから、もう目標は持たないほうがいいと思っていました。制限もあるし、あたえられたことに取り組んでいくのだと思っていました。パラをめざすことで、障がいがあっても努力して前に進める」という気持ちになれたそうです。
 アテネ大会の開会式は、スタジアムで満員の観客が温かい声援でむかえてくれました。「知らない人でも応援してくれる。ここに来るためにはコーチ、家族、友人、同僚みんなが支えてくれた。スポーツって何てすばらしいものなんだろう」と思わず涙が出たといいます。
 東京五輪・パラに向けて今、世界中の選手が限界をこえる努力をしています。「選手たちはみんな、観客の応援が力になったといいます。いいプレーをした選手には最大限のエールを送ってほしいです。メダルもすごいけれど、どうしてもスポーツは勝ち負けがある。負けた選手に対しても拍手を送ってほしいです」と話します。


「めざすぞ、飛び込み界初の表彰台」五輪内定1号、寺内健選手にインタビュー
(朝日小学生新聞2019年9月3日)

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てらうち・けん 1980年、兵庫県宝塚市生まれ。96年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪(高飛び込み5位、3メートル飛び板飛び込み8位)、04年アテネ五輪(3メートル飛び板飛び込み8位)、08年北京五輪、16年リオデジャネイロ五輪に出場。身長169センチ、体重68キロ。

 

 来年夏の東京オリンピック(五輪)は、一部の競技で代表選手が内定しています。いち早く内定した水泳・男子シンクロ板飛び込みの寺内健選手(39歳、ミキハウス)に、朝小リポーターがインタビューしました。これまでに5回五輪に出場してきた寺内選手の目標は、「日本の飛び込み界初のメダリスト」です。

 寺内選手は、坂井丞選手(27歳、ミキハウス)とともに男子シンクロ板飛び込みで、7月に第1号として代表が内定しました。この種目は、水面から高さ3メートルの弾力性のある板から2人一組で飛び込み、空中で動きを合わせて回転などの演技を行うものです。朝小リポーターの隆斗さん(小5)と茉弥さん(小2)きょうだいが話を聞きました。


 Q(質問) 内定が決まった時の気持ちは?
 A(答え) 五輪出場は6回目になります。決まった翌日から「練習に集中しよう」と、落ち着いた気持ちでいます。
  飛び込みは何歳で始めましたか。
  11歳の時です。その前から競泳をしていましたが、小学5年で身長は133センチ。「背が高くないと速くなれない」と悩んでいたころ、今も指導を受ける飛び込みの馬淵崇英コーチ(55歳)から誘われたのがきっかけです。
  高い所から飛ぶのはこわくないですか。
  始めたころは、あまりこわくありませんでした。でも、背中から水に落ちれば、大けがをすることもある。「こわいな」と思うことで集中力が高まるので、わざと少し恐怖感を持つようにしています。
  すごい筋肉です。いつもどんな練習をしていますか。
  まず柔軟を30分。その後にトランポリンで回転の練習、そしてプールで飛ぶ練習をします。終わってから、ウェートトレーニングです。200キロぐらいを持ち上げてスクワットします。
 馬淵コーチに教わった「練習は試合のように、試合は練習のように」という言葉を大事にしています。練習の時から悔しさを覚え、試合でベストなパフォーマンスができるよう心がけています。
  初めて出た五輪は1996年のアトランタ(アメリカ)大会で、15歳でしたね。
  緊張からか39度の熱が出ました。決勝では、1回飛ぶごとに座薬で熱を下げてのぞみました。引退を決めて出た2008年の北京(中国)五輪では思うような結果が出ず(11位)、初めて悔しくて涙が出ました。
  北京五輪後に引退し、また復帰しました。
  2年間サラリーマンをしました。競技にもどる気はなかったですが、(競泳の五輪メダリスト)北島康介さん(36歳)に「健ちゃん、またやらないの」と言われ、メダルを取れなかった悔しさを思い出しました。
  寺内選手にとって五輪はどんな舞台?
  39年間のこれまでの人生のうち、28年間五輪のために闘っている。自分の今までのすべてです。東京五輪では、日本の飛び込み界初の表彰台をめざします。

 隆斗さん ぼくは、寺内選手にお会いして、筋肉がすごいな!と思いました。毎日筋トレをしていると聞いて、その積み重ねで強い体ができているとわかりました。
 茉弥さん いつも本番のように練習で集中している寺内選手。私もどんな時も集中して、全力で取り組んでいきたいと思いました。五輪ではメダルを取ってほしいです。

陸上100メートルの山県亮太選手にインタビュー「9秒台を出して五輪へ」
(朝日小学生新聞2019年2月3日)

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 陸上男子100メートルで10秒00の日本歴代2位タイ記録を持つ山県亮太選手(26歳)のトークショーが1月25日、東京都中央区の朝日新聞社で開かれました。小学生と保護者ら約200人に向け、9秒台や来年の東京オリンピック(五輪)にかける思いを語りました。朝小リポーターの2人も、山県選手に質問しました。

 山県選手は広島県出身。子どものころからプロ野球の広島カープのファンで、「野球選手になりたい」と思っていたそうです。サッカーも好きでした。
 陸上を始めるきっかけは小学3年生のとき、お兄さんがスポーツ大会で入賞して賞状をもらってきたことです。山県選手も賞状がほしくなり、4年生のときに同じ大会に出場して優勝しました。この後、陸上クラブに声をかけられて練習を始めました。走るときのフォームなど基本から指導してもらい、記録がのびていったそうです。
 家でも、ざぶとんの上で足ぶみをしたり、重りを持ってうでをふったりするなどのトレーニングをしていました。
 小学校の先生の言葉「一生懸命は美しい」が、心に残っています。「勉強でもスポーツでも一生懸命やることはいいことだと教えてもらって、『やるぞ!』と思いました」
 中学受験に向けて塾にも通いました。好きな教科は社会で、歴史まんがをよく読んでいました。勉強は「積み重ねが大事」と考えているといいます。

 陸上では、思い通りに走れない時期もありました。しかし「自己ベスト」を出すことを意識して練習しました。
 高校2年生のときに出場した世界ユース陸上競技選手権大会の100メートルで4位になり、「成長していけば戦えるのでは?」と思ったそうです。
 五輪には2012年のイギリス・ロンドン大会と、16年のブラジル・リオデジャネイロ大会に出場。100メートルではどちらの大会でも準決勝に進んでいます。
 「五輪は、特別だと感じました。会場の雰囲気やスタートラインに立ったときの歓声がほかの大会とはちがう。その中で走れる喜びがありました」
 自己ベストの100メートル10秒00の記録は、2017年と18年に出しました。いま目指しているのは、9秒台。来年の東京五輪までに達成し、「自信をもって臨みたい」と決意を語りました。

 朝小リポーターの2人は、舞台に上がって山県選手に質問する機会がありました。走る前に考えていることについては「緊張をほぐすために、開き直ります。全力をつくそう。それで負けたら仕方ない」。
 自身にとって宝物は何かも聞きました。「陸上ではけがをしたことがあるし、失敗もした。勝ってうれしい思いもしました。一つひとつの経験が、今の自分をつくってくれたと思っています。だから、ぼくの宝物は『経験』です」

やまがた・りょうた 1992年生まれ。修道中学・高校(広島市)、慶応大学卒業。2016年、リオデジャネイロ五輪の男子4×100メートルリレーのメンバーで、銀メダルを獲得した。セイコー社員アスリート。


大坂なおみ選手、全豪優勝、世界ランク1位に
(朝日小学生新聞2019年1月29日)

 テニスの4大大会の一つ、オーストラリア(全豪)オープン・女子シングルスで26日、大坂なおみ選手(21歳)が初優勝しました。この結果を受け、28日発表の世界ランキングでは、男女を通じてアジア勢で初の1位になりました。去年の4大大会初優勝から、さらに成長した姿を見せています。

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優勝トロフィーを持ち、記念撮影に臨んだ大坂選手=2019年1月27日(c)朝日新聞社

 大坂選手は去年9月のアメリカ(全米)オープンで4大大会を初制覇し、今大会で2連勝となりました。女子での連勝は2014~15年のセリーナ・ウィリアムズ選手(アメリカ)以来です。
 テニスの世界ランキングは、過去1年間に出場した大会の成績によって決まります。大坂選手はこの1年の活躍で、70位前後から一気に1位までかけ上がりました。
 優勝から一夜明け、「責任もともなうけれど、うれしい」と話しました。でも世界ランキングは目標の一つでしかなく、気持ちは次の試合へ向かっています。
 試合がなかった間、陸上選手のように走りこみ、スタミナやフットワークをきたえました。その成果もあり、自信がついてきたといいます。
 全豪オープンの間、「インナーピース」という言葉を口にしました。直訳すると「内なる平和」といった意味で、この状態に達すると、まわりが気にならないくらい集中できるといいます。試合でミスが出ていらだっても、すぐに立ち直れるようになりました。「精神年齢は3歳」から「5歳になったかな」と笑います。
 次の4大大会は5月のフランス(全仏)オープンです。来年の東京オリンピックでの活躍も期待されます。

解説者・沢松奈生子さん「実力、勢い共にある」

 「グランドスラム(4大大会)はほかの大会よりも1週間長く、調子や集中を保つのが大変です。それを連覇できるというのは今、大坂選手に実力と勢いが共にあるということ」と話すのは、元プロテニス選手で解説者の沢松奈生子さんです。
 ペトラ・クビトバ選手(チェコ)との決勝戦では、2セット目に勝利が決まる場面を3度のがし、結局セットを落としました。大坂選手は少し涙をうかべましたが、休憩をはさみ気持ちを切りかえて、3セット目はねばり勝ち、優勝を決めました。「あきらめたら試合には勝てません。最後まで勝負はわかりませんよね」(沢松さん)
 大坂選手の素直で、テニスを始めたころの「楽しい」という気持ちを忘れていないところが強みだと沢松さんは考えます。「今スポーツや習い事をがんばっているみなさんも、大坂選手のように、初心と楽しむ気持ちを忘れないでほしいです」
 この1年、大坂選手は急成長をとげました。「ランキングを上がるのが速いのは、トップになる選手の特徴」と沢松さん。いま女子テニス界には圧倒的女王はおらず、ランキングの上位は激しく入れかわっています。まだ21歳の大坂選手には、大きなのびしろがあります。しかし1位になり、全ての選手に追われ、研究される状況になりました。
 「追われる立場になったことこそ楽しんでほしいです。まだ取っていないグランドスラムが二つあります。楽しみながら、一つ一つ優勝を集めてほしいです。

「できる」を発信していきたい 成田緑夢選手にインタビュー
(朝日小学生新聞2019年1月4日)

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 去年、韓国・平昌冬季パラリンピックのスノーボードで金、銅の二つのメダルを獲得した成田緑夢選手(24歳)。大会後、スノーボード競技を引退し、今度は走り高跳びで2020年の夏季パラリンピック東京大会の出場を目指しているといいます。その先にはオリンピック(五輪)にも出場するという夢があり、「挑戦」を楽しみたいと話しています。

 東京都内で去年12月中旬、成田選手の走り高跳びの練習場所を訪ねました。練習予定がない中で、撮影のために何本か挑んでくれました。
 1本跳ぶごとに、フォームなどを画像で確認します。納得のいくフォームが写っていたときは「これはいい!」と笑顔になります。
 成田選手は、「目の前の一歩に全力で」という姿勢を大切にしています。
 「自分で決めて挑んだことは、うまくいかなくても落ちこみません。失敗と考えるのではなく、そうなった結果がわかったと思うからです。次は良い結果が出るようにがんばろうと思います」
 20年のパラリンピック東京大会の出場を目指す競技として、走り高跳びを選んだ理由は? 「持久力を求められる競技より、瞬発力が求められる競技のほうが好きだし、自分に向いていると思うんです」。成田選手は左ひざから下の感覚がありませんが、左足もあまり使わなくてすむと感じているそうです。
 取材した時点で、成田選手のベスト記録は1メートル80センチです。パラリンピックで戦うには、2メートルをこえる力が必要といいます。「数字で結果が出るので、記録が伸びると成長を感じられます。これからもがんばります」
 子どものころから、スノーボードやトランポリンをしていました。国際大会にも出場し、五輪出場が夢でした。しかし、19歳のとき、トランポリンの練習中にけがをして、左足に障がいが残りました。
 それでも、スポーツが好きという気持ちは変わらなかったので、スノーボードなどの練習を再開しました。パラリンピックの出場を目指しました。
 成田選手が、自分の練習や大会の様子をツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で伝えると、障がいのある人などから「元気をもらった」「自分もがんばる」などのメッセージが届き、はげみになっているといいます。
 平昌パラリンピックでは、金と銅の二つのメダルを獲得しました。「出場するだけでなく、子どものころからやっていたスノーボードで、良い成績を残すことができてうれしかったです」
大会が終わってから、取材を受けたり、イベントに出演したりする機会も増えました。
 「ぼくのことを、足をけがしてから希望をなくしたのではないかと思う人がいるかもしれません。でも、笑顔で生活しているし、スポーツもしています。これからもスポーツを通して『できる』ということを発信していきたいし、挑戦を楽しみたいです」
 将来は、五輪出場を目指します。「競技はまだ決めていませんが、パラリンピックと五輪の両方に出場することが人生の目標です」
 小学生には、自分が「好き」「苦手」と感じる気持ちを大切にしてほしいといいます。
 「子どものころに好きだったことは、大人になっても好きなことが多い。今のうちから記録しておくと、自分の進む道の参考になるかもしれません。ぼくもスポーツが好きという気持ちは変わらないです」


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