朝日小学生新聞
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【神戸タンタン物語 上】復興応援にパンダ来園20年

朝日小学生新聞 2020年1月8日付け

 傷ついた人たちや、街に勇気をくれたジャイアントパンダがいます。兵庫県神戸市立王子動物園の「旦旦(タンタン)」(24歳、めす)です。阪神・淡路大震災からの復興のため、中国からやってきました。来園20年、震災から25年になる今年、中国との約束が終わり、神戸を去る可能性があります。多くの人に愛されるタンタンの物語を3回にわけて紹介します。(猪野元健)

カメラ目線(?)のジャイアントパンダ「タンタン」。
東京・上野動物園ではパンダを見るために行列ができますが、タンタンはゆったりと見学できます=兵庫県神戸市灘区の市立王子動物園

阪神・淡路大震災 傷ついた人・街を、勇気づける
 2日、冷たい風がふくなか、パンダ舎は多くの人でにぎわっていました。ねころんだり散歩したりするタンタンにカメラを向け、やさしい表情で見守っていました。

 王子動物園は、動物園でひときわ人気があるパンダ、コアラ、ゾウをいっしょに見られる国内唯一の施設です。そのなかでも、案内標識や入場口などに動物園の「顔」としてえがかれている特別な動物がパンダです。

 タンタンは体重約80キロ。パンダのなかでも脚が短いといわれます。ちょこちょこと歩く姿や、どこかのんびりとして、やさしい雰囲気がファンの心をとらえ、県外から会いに訪れる人も少なくありません。

 タンタンは、人間でいうとおばあさんの年齢です。どんな歴史を歩んできたのでしょうか。

 1995年1月17日、兵庫県淡路島北部を震源とする大地震が発生。6434人が犠牲になった、阪神・淡路大震災です。神戸市では震度7を記録。動物園は、避難所や亡くなった人の安置所になりました。

 震災で傷ついた子どもたちをはげましてほしい――。神戸市は以前から交流のあった中国にパンダの共同研究を呼びかけ、2000年7月にタンタンとおすの「興興(コウコウ)」の来園が実現しました。

 復興のなかばだった神戸は盛り上がりました。パンダがデザインされた電車やバスが走り、「神戸パンダ音頭」というおどりもできました。入園者は、前年度の2倍の198万人に増えました。

「ステイ」「ダウン」のかけ声でタンタンは体勢を変えます。副園長の花木さんは健康管理に役立っていると説明します

子どもやペアのおすと別れ
 パンダは絶滅のおそれがある動物です。動物園での飼育は、難しい繁殖を研究する目的があります。

 タンタンは自然の交尾では赤ちゃんが生まれなかったため、2003年から人の手を借りる人工授精に挑戦しました。妊娠はしたものの、07年は死産、08年は赤ちゃんが4日で天国へ。10年にはペアのコウコウが麻酔の事故で死にました。

 タンタンにとって、繁殖は苦い経験だったかもしれません。しかし副園長で獣医師の花木久実子さんは、「他の動物の命につながった」といいます。妊娠しやすい期間や出産の時期を調べるには、尿の成分の変化を調べることが大切とわかりました。オランウータンやゾウの繁殖で役に立ったそうです。

 10年から1頭で過ごすタンタンを、飼育員は家族のように世話をしてきました。いま力を入れているのが、健康をたもつためのトレーニング。声で合図を送ると体勢を変え、聴診器をあてたり、おしりに体温計を入れたりできるようになりました。

 「タンタンは神戸のアイドル。これからもずっといてほしい」と花木さん。中国との約束で、展示できるのは今年7月までです。市をあげて、延長できるように交渉しています。

【ジャイアントパンダ】
 中国南西部の標高2600~3500メートルの竹林に分布。絶滅危惧種に指定されています。めすの妊娠の可能性が高まるのは1年で数日間だけで、繁殖が難しいことで知られます。タンタンは1995年9月16日生まれ。1日に10キロから15キロの竹を食べます。パンダは世界的に人気で、日本には東京、和歌山、兵庫の3施設に計10頭います。

(左)「神戸パンダ音頭」のうちわ(右)ジャイアントパンダの見学者200万人達成を祝うイベント=2001年、神戸市立王子動物園提供


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