日本のPKO参加20年


 


変わるPKOへの対応が課題

 

 国連の平和維持活動(PKO)を知っていますか? 「UN(国連)」の青いヘルメットをかぶって、停戦の監視などにあたるもので、いま世界の16カ所に展開中です。このPKOに日本が参加して、ちょうど20年。その活動や課題を見てみましょう。

 

 

南スーダンPKOに派遣され、宿営地に寝具などを運び込む陸上自衛隊員=今年2月19日、南スーダンの首都ジュバで ©朝日新聞社

 

 

 

 

 

 PKOって、どんなことをするの?
 文字通り「平和(Peace)」を「維持する(Keeping)」「活動(Operations)」、つまり停戦監視が出発点。安全保障理事会が派遣を決める。ただ、この20年ほど任務の幅がぐんと広がり、選挙監視や警察力の育成、元兵士たちの武装解除などもやっている。日本が参加するハイチPKOは、地震の復興支援が目的だし。


 そんな日本の活動が「成人式」を迎えたんだね。
 その通り。1992年6月にPKO協力法ができて、参加し始めた。その年の9月、カンボジアに自衛隊や警察官を送った。48年にPKOが始まってから全部で67あるが、日本の参加は活動中の4つを含め13になる。


 日本は56年に国連に加盟したはず。PKO参加はずっと後なんだね。
 理由の第一は、日本が第2次世界大戦後、平和憲法を持ったことだろう。戦争への反省もあって、自衛隊を国外に出すのに反対の声が強かった。それに、PKOへの関心自体が、世界でもそう強くなかった。


 20年前に参加へと動いたのはなぜ?
 湾岸戦争というのがあってね。日本は国連が認めた軍には当然、人員は出さず、巨額の資金を提供するにとどめた。それが世界から評価されなかったため、「カネだけじゃだめ。人を出さなければ」という空気が強まった。
冷戦が終わり、世界に「これからは国連を軸に、PKOで平和を守ろう」という機運が高まってもいたんだ。


 いやいや参加したみたいだ。
 自衛隊の国外派遣にはいまも賛否がある。カンボジアPKOでは、警察官ら2人が犠牲になり、警察はその後、人を出すのをやめてしまった。ただ、政府の世論調査を見ると、ここ数年は8割超の人々が参加を評価している。空気は変わってきているね。


 えっ、犠牲者が出るほど危ないの?
 そりゃあ、つい最近まで紛争が起きていた地域に行くのだから。国連はPKO派遣に「紛争当事者が派遣に合意」「自衛、任務防衛以外での武器使用禁止」などを条件とするが、いまは「合意」なしで派遣することがあるし、市民を守るため武力を使うこともある。最前線の危険性は増しているかもしれない。


 日本は危ない現場には出ないの?
 日本はさらに「停戦合意」「武器使用は必要最小限」など厳しい条件をつけている。だから派遣できるPKOは限られ、職務も後方支援が中心になる。
南スーダンでは、自衛隊は安全な首都近辺にいるのに、NGOなどの日本人が全土に散らばって活動するという皮肉な光景も見られる。


 もっと活動を広げればいいのに。
 現場を知ると、そう考える人は多いね。しかし、各国にはそれぞれの事情、関わり方がある。
大勢の部隊を送ることだけが大事なのではない。大切なのは、どう世界に関わるかを私たち一人ひとりが考え、その上で、変わるPKOに日本なりのやり方で貢献を深めていくことじゃないかな。

 

 PKO協力法 国連平和維持活動(PKO)や国連の決議を受けた国際救援活動に協力するために、1992年8月に施行。@停戦合意A紛争当事者の受け入れ合意B中立C独自判断による撤退D武器使用は隊員が身を守るための最低限度――の条件を前提として、自衛隊の参加を認めることとして制定。参加する場合は国会の事前承認が必要。
  NGO 非政府組織。もとは国連などで民間団体の意味で使われた名称で、日本では「国際協力に携わる民間団体」という理解が一般的。南スーダンでは日本のNGOも井戸掘りやトイレの設置、食料や衛生の援助などをしている。

 

 

前朝日新聞編集委員 大妻女子大教授聞経済部 五十嵐浩司

 1952年生まれ。朝日新聞大阪社会部、 外報部を経てナイロビ支局長、ワシント ン特派員、ニューヨーク支局長を歴任。 大学や大学院でジャーナリズム論や国際 政治を教える。

 

 

2012年7月1日

 

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