新党立ち上げた小沢一郎さんって?


 


今度こそ「終わり」? まだまだ?

 

 民主党元代表の小沢一郎さんが新しい政党「国民の生活が第一」を立ち上げ、代表に就任しました。議員歴42年で御年70歳。「破壊と創造」を繰り返す政治家と言われ、これで4回目の新党結成です。これまでどういう政治経歴を歩んできたのでしょうか。

 

 

 

新党「国民の生活が第一」結党大会で、気勢を上げる小沢一郎代表(中央)ら=7月11日、東京・永田町の憲政記念館で ©朝日新聞社

 

 

 

 

 

 新党をつくるのって大変なんでしょ。
 ものすごいエネルギーが必要なんだ。党名や事務所の場所を決め、手足になってくれる職員を集める。誰をどの役職に就かせるか人事を考え、国民に訴える政策も作らないといけない。方々へのあいさつ回り、選挙を戦うためのお金集めも必要だ。数十億円が必要とも言われている。


 何でそんなに苦労する道を選んだのかな。
 衆院の定数は480人、参院は242人。仲間を過半数集めれば権力を握れる。いま新党には衆院で37人、参院12人しかいないけど、頑張ってもう一度自分が中心になり、政治を動かしたいんだ。


 与党の民主党にいたんじゃないの。
 民主党を出て行ったのは、野田佳彦首相が野党である自民党や公明党と一緒になり、消費税の税率を上げることを決めたからなんだ。
  小沢さんらは「増税の前にやるべきことがある」と言っている。民主党が2009年の総選挙で約束した、行財政改革や社会保障制度をちゃんとやれということだね。その他にも考え方の違いで、党内でしばしば対立していたんだ。


 そもそもどういう人なの。
 27歳で初当選し、ずっと自民党にいた。実力者に可愛がられ、出世街道をまっしぐら。47歳の若さで党の幹事長になったんだ。総裁(首相)に次ぐナンバーツーだね。
  自民党内で仲たがいして1993年に党を飛び出し、新生党をつくったんだ。いまは仲が良くない岡田克也副総理や藤井裕久元財務相らと一緒だったんだ。


 へー、それからどうしたの。
 衆院選を経てたくさんの政党を束ね、連立政権をつくった。自民党政権を倒したんだね。でもすぐに各党の関係がうまくいかなくなった。94年に新進党、98年に自由党を結成。2003年に民主党と合流し、09年に再び自民党を倒して政権交代を果たしたんだ。


 なんだか落ち着かない人なんだね。
 党をつくっては壊すから「壊し屋」と呼ばれたり、誰も思いつかない動きで局面を打開するから「剛腕」と言われたりしている。ただ周りに誤解を与えやすい人みたい。
  「側近」議員が何人も、ある日突然理由も告げられずに会えなくなってしまう。雲隠れして連絡がつかなくなることも。何を考えているかわかりづらいので、人が離れていくんだ。
  国民にもあまり考えを説明しようとしないね。記者会見で聞きたいことがたくさんあるのに、すぐに切り上げてしまう。


 ずっと活躍してきたんだから、魅力がある人なんでしょ。
 「小沢流人たらし」といって、腰が低くて初対面の人はびっくりするんだ。「あの大物政治家が……」と人の心をつかむ。それと選挙に強い。幾度となく不利な情勢をひっくり返してきた。そういう「小沢神話」に魅了されている人たちがいるよ。


 これからどうするんだろう。
 政界では「小沢は終わりだ」と言われている。でも20年前から同じことが言われてきて、そのたびに生き残ってきた。このまま終わるとは断言できない。

 

 民主党マニフェスト 2009年衆院選で実施するとした「公約」。小沢氏主導でまとめた。子ども手当月額2万6000円を支給することなどを約束。必要なお金である年16.8兆円を、国の予算を組み替えて工面するとしていたが、ほとんど「絵に描いた餅」に。消費増税は約束していない。
  陸山会事件 小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる事件。検察審査会が10年10月に小沢氏を「起訴議決」し、11年1月、強制起訴となった。12年4月に東京地裁で無罪判決が出たが、控訴。小沢氏を被告とする裁判は東京高裁で続くことになった。

 

 

『週刊朝日』編集部 渡辺哲哉

1973年生まれ。99年から朝日新聞記者。 2004年に政治部。首相官邸や自民党、政権 交代後は民主党を担当。07年〜09年の大 阪社会部在籍時には、橋下徹府知事を取 材した。現在は『週刊朝日』の政治担当。

 

 

2012年7月15日

 

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