この経験を糧に再建へ歩み出せ
2009年の政権交代から約3年。国民の圧倒的支持を受けて誕生した民主党政権ですが、当時の姿は見る影もありません。それどころか、今では「1日でも早く政権を降りてほしい」とまで言われています。何でこんなことになったのでしょうか。
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2009年の総選挙で大勝し、当選者の名前に花をつける民主党の鳩山由紀夫代表(右から3人目)、小沢一郎代表代行(右から2人目)、菅直人代表代行(右端、肩書はすべて当時)。=2009年8月 |
Q そろそろ衆院の解散・総選挙があるのかな?
A 「近いうちに国民に信を問う」って野田佳彦首相が自民党の谷垣禎一総裁に約束したんだ。「近いうち」がいつを指しているのかわからないけど、秋だろうと言われているよ。
でも選挙をしても民主党は勝てそうもないよ。2009年は308議席取ったけど、党内のごたごたで離党が相次ぎ今は249議席。これが100議席程度になるとも言われている。
朝日新聞が今月実施した世論調査で野田内閣の支持率は22%。鳩山由紀夫政権の最初は71%もあった。民主党の支持も当時46%だったのが今や13%だ。
Q 何でだろう?
A 最初の鳩山首相の失敗が痛かった。自身の政治資金問題や、米軍の沖縄・普天間飛行場の移設問題でコロコロ言うことが変わって信頼を失った。
そして10年の年明けには小沢一郎幹事長(当時)の秘書らがこれも政治資金の問題で逮捕された。
スキャンダルでボロボロになった民主党を見て、この頃自民党は「寝てても政権はかえってくる」と余裕だったね。
Q 次は菅直人さんが首相になったよね。
A 10年夏の参院選前に首相に就任したけど、説明不十分のまま消費増税に言及して選挙で惨敗した。以後参院は野党が過半数を持ち、実施したい政策が野党の反対でできなかったり、野党の要求をのんだ上で法が成立したりした。
その結果、国民との約束であるマニフェスト(政権公約)違反が続出したんだ。
Q 「事業仕分け」が注目を集めていたよね?
A 「自民党政権はしがらみだらけだから、こういうことはできない」と大見えを切ってマニフェストを実行するお金を生み出そうとした。でも期待していたほどのお金が出せず、政策が進まなかったんだ。
Q そうなると最初からわからなかったの?
A 振り返ってみれば、あれにもこれにもお金をばらまきますというマニフェストで、有権者の受けを狙いすぎた。民主党は自民党から政権を奪うことが目的だったからね。
自民党は「お金がないのに出来ないことまで約束して票を買収した」と痛烈に批判しているよ。野党と与党では重みが全く違う。野党なら好き勝手なことが言えるけど、与党は約束したことを実行しなければ批判される。
Q 離党した小沢さんはどういう存在だったの?
A 自民党を追い込んで、政権交代を果たす原動力ではあったんだ。鳩山さんが首相を辞める時に一緒に幹事長を退いたんだけど、その後自分に近い議員と一緒になって、様々な手を使って復権しようとした。民主党がいつもドタバタしているように見える一因になったのは事実だ。
Q 民主党は今後どうなるのかな。
A すでに「野党になって一から党を作り直すべきだ」と言っている議員もいるんだ。綱領もない、党内で方針を決める際のルールも毎年変わる、規律がない政党なんだ。でも政党政治には強力な野党が必要だ。民主党政権になって、外交文書の公開原則を作るなど成果はあった。失敗を反省して、再建に向けて歩んでほしいね。
民主党の歴史 1998年に、「政権交代可能な政治勢力の結集」を掲げて結党。自民党や旧社会党など議員の出自は様々。これまで鳩山、菅氏以外に岡田克也、前原誠司、小沢一郎氏が代表を務めた。野田首相は延べ9代目の代表で、3代目の首相となる。
綱領 政党の目標や考え方の根幹となる文書。色々な政党出身者が集まった民主党は、無理やり考え方を合わせようとすると、対立する可能性があるためこれまで作成してこなかった。「綱領すらない政党は政党じゃない」と批判され続けてきたため、本格的に作成中。来年1月までにまとめる予定。
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『週刊朝日』 編集部 渡辺哲哉
1973年生まれ。99年から朝日新聞記者。2004年に政治部。首相官邸や自民党、政権交代後は民主党を担当。07年〜09年の大阪社会部在籍時には、橋下徹府知事を取材した。現在は『週刊朝日』の政治担当。
2012年8月26日 |