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2019年4月17日付
5年後の2024年に、お札のデザインが変わります。肖像となるのは、1万円札が「日本の資本主義の父」とよばれる渋沢栄一、5千円札が日本の女子高等教育に力をつくした津田梅子、千円札が「日本近代医学の父」とよばれる北里柴三郎です。(松村大行、岩本尚子)
渋沢栄一は明治から昭和にかけて活躍した実業家です。故郷の埼玉県深谷市にある渋沢栄一記念館は新紙幣発表後、来館者でにぎわっています。
学芸員の馬場裕子さんによると、渋沢は「多くの人と仲良くし、相談に乗ってくれる、努力の人」です。裕福な農家に生まれ、染め物に使う藍玉の製造・販売などをおさないころから手伝いました。父の教えのもと、ぜいたくはせず、年のはなれたいとこを先生に「論語」など学問を学びました。
そうして身につけた商売の心得や道徳心を胸に、銀行、鉄道、ホテルなど、約500の会社の設立に関わりました。設立を相談されると、知り合いを紹介したり、お金の面で助けたりした半面、断りもしたそうです。「あなたのやりたいことは世のため人のためになるか、産業の発展のために道理(理屈)が通っているか」。そう聞いていたそうです。
70代半ばごろからは、社会福祉や国際交流などに力をつくしました。91歳で亡くなるまで、「生涯現役」をつらぬいた人生でした。
津田梅子は1871年、日本で最初の女子留学生の一人として、6歳でアメリカ(米国)に旅立ちました。お父さんが明治政府の仕事をしていて、日記に「お姉さんは行きたくないと言い、私は行きたいと言った」と書き残しているそうです。
米国の学校で学び、18歳で帰国しました。このころから「米国の教育を日本に伝えるため、学校をつくる」という夢をもっていました。
しかし日本ではまだ、高等教育は男性だけのものでした。津田梅子は女性にも学問の機会があるべきだという信念のもと、長い時間をかけて準備し、1900年に今の津田塾大学(東京都小平市)の基礎となる女子英学塾を開きました。開学のあいさつで生徒たちに「オールラウンドな女性になりなさい」と話しました。専門の英語の勉強をするだけでなく、社会で何が起きているか、広い視野で学びなさい、という意味です。
現在の津田塾大学学長の高橋裕子さんは、津田梅子の研究者でもあります。「熱心で、あきらめずにチャレンジし続ける人でした。小学生のみなさんにも、限りない可能性があります。情熱をもってねばり強く努力する姿勢を、津田梅子の人生から学んでほしいです」
北里柴三郎は「医者の使命は病気を予防すること」と考え、破傷風菌やペスト菌などを研究し、多くの命を救いました。1914年、私立の医学研究所として北里研究所をつくりました。
北里研究所北里柴三郎記念室(東京都港区)事務長の森孝之さんは、北里がまわりに伝えてきたメッセージを小学生向けに、「考えることは大切。考えたことを人に伝えることも大切。しかし最も大切なのはそれを実行に移すことである」とまとめます。学んで得た知識を、たくさんの人の役に立つように応用することを重視しました。
8歳の時、勉強のために親せきにあずけられました。「家族の一員として仕事を分担するなら、えんりょなく食べなさい」と言われ、縁側をピカピカにみがいた、という話が残っています。森さんは「解釈は自由ですが、あたえられた役目に正面から向き合う姿勢が、子どものころからあったと言えるのでは」と話します。
記事の一部は朝日新聞社の提供です。