「金融緩和」進め暮らしの向上をめざす
伊沢 友之記者 朝日新聞経済部
ジャン 日本銀行の全体を取りまとめる総裁がこの前、新しい人に交代したと聞いたよ。
伊沢記者 20日付で就任した黒田東彦さんだ。31代目の総裁だよ。
ケン 黒田さんってどんな人なのかな?
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日本銀行の新しい総裁に就任し意気ごむ黒田東彦さん©朝日新聞社 |
――黒田さんは福岡県大牟田市出身の68歳。話し出すと止まらないと周りの人から言われるほどの話し好きだ。東京大学を卒業した後、国の予算をつくったり、税金の仕組みを考えたりする大蔵省(今の財務省)に入った。
ジャン そこでどんな仕事をしていたの。
――日本のお金と外国のお金を交換する「外国為替市場」を安定させたり、世界の大きな銀行が守るルールを外国の人といっしょに考えたりする仕事を多く手がけていた。1999年にはその部門を取りまとめる「財務官」になり、日銀とも連携して仕事をしていた。だけど、日銀とはあまり呼吸が合わなかったんだ。
ケン どうして。
――黒田さんは、みんなの暮らしがよくなるには、日銀がお金を借りた時に払う利子を下げたり、世の中に出回るお金の量を増やしたりする「金融緩和」が必要だと考えていた。お金が使いやすくなれば、お店の商売や会社の仕事が活発になると思ったからだ。なのに、日銀が後ろ向きだった。2002年には日銀に対する自分の意見をイギリスの新聞で発表した。
ポン どんな内容だったの。
――当時も今の日本もそうだけど、私たちが買うお菓子やテレビなどモノの値段が下がり続ける「デフレ」という状態にある。一人ひとりのお金のやりくりを考えると、同じモノが安く買えるのはうれしいけど、日本全体を考えるとあまりいいことじゃないんだ。だから、1年間にこのぐらいまではモノの値段が上がってもいいと目標を決めて、日銀がその目標に向かって動くべきだと提案した。
ジャン どうなったの。
――その時の日銀は受け入れなかった。目標を決めてモノの値段を上げようとすると、上がりすぎた時にコントロールできなくなる心配があるからね。日銀は役所から独立しているので、自らの判断で目標は必要ないと考えたんだよ。
黒田さんは財務官をやめたあと、アジアの人々を豊かにする取り組みを進められるように各国がお金を出し合ってつくった「アジア開発銀行」という国際機関の総裁になって、仕事をしていた。
ケン その黒田さんがどうして日銀の総裁に選ばれたの。
――去年12月に就任した安倍晋三首相も、日銀が進んで金融緩和しないことに不満を持っていて、黒田さんと考え方が近かった。それに、日銀総裁は、お金にまつわる会議で他の国の人たちに交じって難しい議論や交渉をすることも多い。その時に、財務官やアジア開発銀行の仕事を通じて知り合った人とのつながりが役に立つんだ。
ポン そうなんだ。
――21日にあった初めての記者会見で、黒田さんはデフレから抜け出すために「できることは何でもやる」と意気ごんでいた。難しい課題が多くあるのも確かだけど、みんなの暮らしがよくなるように、これから腕をふるっていってほしいね。
黒田東彦さんのプロフィル
生年月日 1944年10月25日
出身地 福岡県
学歴 今の筑波大学付属駒場中学高校、東京大学法学部を卒業。オックスフォード大学経済学修士課程修了
趣味 読書、数学、歌舞伎鑑賞
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