石張りの巨大な溝 舒明天皇の墓か
朝日新聞橿原支局長 塚本和人記者
ケン 奈良県明日香村で大きな発見があったと聞いたよ。
塚本記者 県立明日香養護学校の校内にある小山田遺跡で、たくさんの石を張りつけた大きな溝が見つかったんだ。
ポン 学校で見つかったの?
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約50メートルにわたって石が張りつけられた溝(C)朝日新聞社 |
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小山田遺跡で確認された階段状に積まれた板石=どちらも2014年12月24日、奈良県明日香村(C)朝日新聞社 |
――50年前に造られた古い校舎を建て替える工事が始まる前に、県立橿原考古学研究所が発掘調査し、偶然発見した。
ケン どんな溝なの?
――東西の方向に長さ約48メートル、幅は7〜3・9メートル。斜面に長さ40センチぐらいのたくさんの石がきれいに張られ、底には同じ種類の小さめの石が敷かれていた。反対側の斜面には、特殊な板みたいに薄い石を階段のように積み上げていたよ。
ジャン それから何がわかるの?
――場所によって種類の違う石を使い分ける、ていねいな工事だったことがわかる。専門家の先生も「こんな遺跡、見たことがない」と驚くぐらいだよ。
ケン 何のために造られたのかな?
――手がかりが少ないから、わからないことも多いんだ。でも、研究所は7世紀中ごろに造られた古墳の濠ではないかと考えている。
ポン 古墳?
――古墳は高く土を盛り、周りに濠をめぐらせた古い時代のお墓のこと。高まりは失われたが、見つかった板石が積まれた部分が古墳の一番下にあたるようだ。一辺の長さが50〜80メートルぐらいの四角い古墳だったとみられる。
ケン ずいぶん大きい古墳だね。
――明日香村をふくめた「飛鳥」と呼ばれる7世紀の日本の中心地で一番大きな古墳だった可能性があり、これまで誰も知らなかった古墳が発見されたのかもしれない。
ジャン 誰のお墓?
――2人の歴史上の人物が主な候補にあげられている。県立橿原考古学研究所の菅谷文則所長は、641年に亡くなった舒明天皇が最初に葬られた墓の可能性が高いと考えている。
舒明天皇のお墓は今、明日香村の隣の桜井市にある段ノ塚古墳がそうだと言われている。
ポン お墓が二つもあるの?
――『日本書紀』という歴史の本には舒明天皇のお墓は、最初に葬られた場所から、しばらくして別の場所に移された、とある。段ノ塚古墳でも小山田遺跡で見つかったものと同じ種類の板石を積み上げていたことがわかっており、小山田遺跡が舒明天皇の最初のお墓の可能性があると説明している。
ケン 舒明天皇って、どんな人だったの?
――593年生まれの舒明天皇は、630年に「遣唐使」と呼ばれる使節を初めて派遣したよ。
舒明天皇は2人の歴史上重要な人物の父でもあるんだ。一人は飛鳥時代前半に活躍した大豪族の「蘇我氏」を討ち、天皇を中心とした政治改革、大化の改新を行った中大兄皇子(天智天皇)。もう一人は、672年に起こった「壬申の乱」という古代最大の内乱に勝って、新しい国造りを進めた大海人皇子(天武天皇)だ。
ジャン もう1人の候補は誰?
――小山田遺跡は、大化の改新で討たれた蘇我蝦夷と、息子の入鹿が立派な屋敷を築いたとされる甘樫丘のすぐ南にある。天皇を超えるほどの大きな力を持ったとも言われる蝦夷が造らせた墓と考える専門家もいる。そのほか、天皇の一族や豪族の屋敷なのかもしれない、などいろいろな意見がある。
ポン これからも大切にしてほしいね。
――古墳からは、飛鳥時代の人たちが汗と涙を流しながら苦労して造った努力を感じ取ることができる。これからも調査を続けて、なぞに迫ってほしい。将来、遺跡を残して見学できるようになったら、みんなも歴史を身近に感じることができるんじゃないかな。
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